とてもいい作品だった。人と機械の関係に迫るところと、人同士の関係を描いた作品で、いろいろと考えることが出てくる作品だ。
まだ介護をした経験はなく、身内も少し認知症がで始めたら、そのあとはあまり長くなかったので、介護の大変さは、文章から想像する以上には理解できていない。想像することは大切だとおもうものの、臭いや疲労感は想像に限界があるし(できる人もいるかもしれないが)、長期間それが続くことの辛さとか、先が見えないこととか、自分自身の人生が消耗していくことの辛さは、当事者にならないとわからないような気がする。それにしても、個人差が大きいだろう。今高齢の方にどうしてほしい、ということではないけど、自分が認知症になる年齢になった時、おそらく周りに世話をしてくれるような人は誰もいないし、どうなるのだろうと漠とした不安はある。貯金をしていても、それすら忘れてしまうかも、と思うときもある。脳梗塞などにならなければ、一気に進行することは少なそうなので、健康に気を付けつつ、年を取りたい。遺伝的な素因がどこまであるのかはわからないし、前の世代よりも長生きするだろうから、前の世代では見えなかったものが見えてくることもあるだろう。団塊の世代がまとまって認知症になる時期が迫っているけれど、そこかしこに現れて、認知症になることへの抵抗が減ればいいかな、と思う一方、忌避感が強くなるかも、とも思う。若い人は特に、年を取った自分が想像しにくいもので、目の前に現れた認知症患者たちが未来の自分の姿とは思いにくいかもしれない。
介護については、する側の不安が先で、そのあとされる側の不安が来る。もう、介護する可能性がある人は少ないので、彼らにはつつがなく長生きしてほしいところだ。前にも書いたけれど、おそらく孤独な老人になっているので、自分が認知症になった時のことを考えると、ものすごく不安になる。そのころにはぼけているから不安になっていることもわからない、との笑い話が昔あったけれど、実際のところ不安は残っているようだ。その不安を感じたことは記憶には残らないようなので、不安になっていることがわからないというのも一面事実なのかもしれない。できる対応は、よくわからない状態になってしまう前に、お金を支払うシステムに加入するとか、管理を任せる組織に依頼するとかかな。
この本は、冬木糸一さんのブログを見て発売されることを知ったのだけど、ブログを読んだ時点で、これは見ないほうがよかった、と感じたことがあり、それは読後、改めてそう思った。冬木さんの書評は、他人を読む気にさせる素晴らしいものだと思うけど、読後に読んだ方がいいときもあるのかもしれない。この文章を先に読むひとはほとんどいないだろうけど、冬木さんのこの本の書評は読後に読んだほうが良いかも。