三体 

 

それぞれ読んだ直後に感想を書いた。

1

少し前から中国人作家のSFを少しずつ見かけるようになり、海外でも評価が高い作家がいることは知っていたけれど、積極的に情報を集めてはいなかった。地球往事シリーズ(?)の三部作の一つ、三体が発売された。売れてしまったのか入荷していないのか、近所の本屋では見当たらなかったので、Kindleで購入した(これを書いたのは発売後最初の日曜日だけど、83日時点で本屋さんに並んでいた)。評判が良いことはなんとなく記事のタイトルなどでわかっていたけれど、細かいことは調べずに読んだ。

あらすじ等は他のサイトにもたくさん書いてあるのだろうから、特に書かない。感想は、内容に触れずに書くと、リーダビリティが高く、飽きさせない展開で面白かった。盛り上がったところで終わり、次が2020年予定だと書いてある。下手をすると三作目が出るのは2022年ぐらいまで待たなければいけないのか、と思ったけど、若くないからか、それくらいの年月なら待つこと自体は苦ではない。前向きに考えるなら、それまで生きてみようと思えた。次回作が楽しみな作家がいれば、それを読むまではなんとなく生きてみよう、と思える。一方で、途中で読まなくなった本も多い。自分自身についてもそうだけど、区切りの良いところで物語が完結するとは限らない。読めなかったらそこまでだ、とも思う。この先楽しみが全くない状態と、わずかながら楽しみが待っている状態は全く異なる。本はそれほど高くないのは、本当に良かった。今は気に入っている作家についてはできるだけ購入するけど、困ったら図書館で読むこともできる。読書が趣味で良かった。どれだけ切りつめても週に一冊の本も買えないとか読めない状況にはそうそうならないだろう。

ケン・リュウは読んでみようと思いつつ読んでいない作家のひとりで、読後感はどんなふうだろうか。翻訳された文章を読むのが苦手で、時間がかかることが多いのだけど、本作は比較的すらすらと読めた。面白いつまらないの違いではないと思う。面白くても、なかなか読み進められない本もある。では何が違うのだろうか。文化的な近似なのか、知識として知っていることが、英語文化圏よりも多いためだろうか。そんなに知らないか。そのあたりはわからないけれど、読みやすかった。面白いと思ったのは、読むとき、ひとによって中国人名をカタカナ読み(中国語の発音)で読む場合と漢字で読む場合があったことだ。登場回数が多い人については、カタカナ読みで読んでおり、数回の人なら漢字読みをしていた。きっと、漢字と発音の関係を受け入れるまでに数回は必要なのだと思う。一旦頭に入ってしまえば、あとから読めなくなることもなかった、面白い。

続きが読みたければ英語版を見てはいかがか、とどこかにあった。我慢できない人もいるだろう。そこまでして読むか、と考えるけれど、微妙なところではある。翻訳ソフトなどを駆使すれば読めないことはないだろうし、意味をはき違えることもそうそうないとは思うけれど、一回翻訳の段階を入れると、言葉からイメージへの展開がもどかしくなって、物語に入りにくくなりそうなので、たぶん日本語版を待つだろう。読んでいる間に日本語版が出そうでもある。

映像も作られているようだけど、それを見たら構想はわかってしまうのかな?急いでみたいものでもないので、読了後に見ることになるだろう。ちゃんと訳された文章なら、アジア圏の文章は比較的理解しやすい、とわかったことは大きな一歩かもしれない。ライトノベルでも、中国や台湾のひとらしき名前の著者がいる(ペンネームかもしれないけれど)ので、一度手に取ってもいいような気がしてきた。

 

2

勢いをもって読まなければいけないなと痛感している。1巻は発売直後に読み、2巻も発売後すぐに購入した。ただ、上下巻ということもあり、一気に読むことができず、とぎれとぎれ読むことになってしまった。でも、下巻を読み始めたらあとは一気に読めた。面白い。水滴のあれはどういう仕組みなのかわからなかったけど、発想が壮大でとてもよかった。これが三部作の最高傑作との呼び声が高いそうだ。三巻がどういう話なのかは、この感想を書いている時点では知らないけど、きっと発売直後に買うだろう。すぐに読めるかどうかはともかく、それくらい期待しているということで。最終的に感想を上げるのは3巻を読んでからだ。

 

3

読んだ。期待以上の面白さ。三体側の知性がこちらを圧倒するほど高いので、人類サイドで無茶なことをしていても気にならなくなるのはなかなかの力業。冷凍保存だの深海状態だのは、本当にできるのかな?元に戻すのは比較的簡単(ではない!)な気がするけど、やはり冷凍するときとか肺を水で満たす時の技術が求められる。肺に空気が残っていたら、Gに負けてしまうだろうか。多少残っていても大丈夫なようにも思える。冬眠の技術が一般化されてからは、どんどん時間が過ぎていく。その間に起きたことは、普通に描いていればそれだけで一つの作品になりそうなことでもさらっと記載される。超技術を扱うようになってからは、あまり詳しく描くことができないからかもしれないけど、ものすごいリーダビリティで、次々に読み進めてしまった。2巻で小分けに読んでしまったのを反省し、3巻は土日をまるまる使って読了した。Kindleで読んでいたので、残りを表示しないようにして読んでいたけれど、そろそろ終盤であることは読んでいてわかるので、最後は少しずつ読んだ。きっと読み返したら一度目では気が付かなかったところがたくさんあるのだろう。でも、しばらくは読み返すことはないと思う。今のこの読後感を大切にする。

2巻が最高との声が多いと2巻の感想で書いたけど、僕としては3巻が一番面白かった。これまでの集大成なので当然と言えば当然かもしれないけど、2が良いという人の気持ちもわからないではない。全体を通して、すごい想像力だな、と感心するばかり。人物像であったり、話の展開であったり、よくこんなことが想像できるなとおもう。翻訳チームも、予想以上に早く出版してくれたことに感謝する。一体何が異なるのかは今でもわからないのだけど、欧米人の小説を翻訳した文章を読むのには非常に時間がかかる。でも、三体はとてもスムーズに読めた(1菅の感想でも同じことを書いていた)。訳者の違いではない、と思う。大森望の訳は比較的読みやすいけど、コニーウィリスとかはすごく読むのに時間がかかるし、途中でくじけてしまったものもあるくらいだ。家のどこかにドゥームズデイブックがあるはず。それはさておき、中国語の翻訳SFがこれからさらにたくさん入ってくるだろうから、いろいろ読んでみようと思う。

 

あとがきにあったけど、ファンブックを書いた人がいて、きれいに欠落しているところを埋める内容だったから公式に認められたらしい。長編だったので、読み落としていたのか描かれていなかったのかわからないところがあって、それがただ単に見逃していたのか、描かれていなかったのかを知るためにもそのファンブックを読んでみたい。