正月の読書

正月は長い休みをとれたので、その前のアマゾンのまとめ買いで購入した本とそれまでの積読本を読んで、読書漬けの毎日を過ごした。昨年は予定投稿を試してみたけど、あまり感想をアップするモチベーションがないのですぐに終わっている。下書きが何冊分かあったけど、なぜ投稿していないのか思い出せない。とりあえず勢いに任せて読んだ本の感想をまとめて書いた。一気に書いたし、あまり中身を確認していない。

 

・キツネを飼いならす

 

そんな短期間で家畜化されるのか、と驚いた。日本でも、キツネとふれあいができる施設があると以前TVで見た記憶がある。きちんと記録はしていないのだろうけど、比較的おとなしい個体が残って繁殖しているのだろう。この施設のキツネはぶちが出ることはある(あった)のだろうか。今ペットで飼われている動物で、多くの種類でCB個体のほうが飼いやすいといわれているのは、どの動物でも共通して持つ遺伝子の影響なのかもしれない。人と動物の関係に限らず、安定して食べ物を与える存在がいればお互い歩み寄るというか、傷つけあわない関係ができるようなしくみがあって、アリとアブラムシのような関係も、ある意味家畜化されているといえるのかも、と妄想を広げていた。将来キツネがペットになるか、というと寄生虫の問題もあり、すぐには難しいかもしれない。技術的には、いずれ、ほとんどの生き物が、遺伝子を少し改変するとペットにできるようになるだろうけど、動物倫理的な問題から、なんでもペットにできる世の中にはならないだろう。動物園が残るとしたら、そこで活用できるかもしれない。

 

・伊地知英信 外来種は悪じゃない:ミドリガメのための弁明

確かに外来種であってもある程度の期間がたって安定しているものは、今慌てて駆除しなくても良い。これまでTVYouTubeで見た映像は、ブルーギルブラックバスが増えるとほとんどがそれらになってしまう、との話だった。もう少したてば平衡状態になるのだろうか。進化を遂げた在来種が、ブルーギルブラックバスから逃れられるようになるのかもしれない。いったん埋め尽くされたとしても、エサがなければ減るだろうし、その後新たな平衡ができる。

そう思うと、在来種を守りたいのは感情的な面が強い。なんとなく外来種に侵略されるのが悔しいのかもしれない。いずれヒトがいなくなっても、地球がなくなるまでは生き残った生物で自然は残されるだろう。ただ、ものすごく大きな影響を与えることが分かった以上、現況を維持することがベストかどうかわからないものの、無造作に生き物を異動させるわけにはいかない。同じく正月に読んだドードー鳥のはなしにも少しかかわるけど、失われたものを戻すことがいいとも思わない。ヒトが介入するという意味では同じなのだろうか。

 

・辻村美月 この夏の星を見る

この時期に書いてくれたことがありがたい。もしかしたら、少し先になったらこの感覚は共有されないかもしれない。

個人的には、子供達のいろんな機会が減ってしまったことは残念だけど、当時の規制が過剰だったとは思わないし、多くの人がいろいろとこらえてくれたおかげであまり被害が大きくならずに済んだと思っている。ワクチンが普及した今となっては、あのときそこまで備える必要はなかったのでは、と振り返る大人もそれなりの数いるようだけど、将来似た様なことが起きた時、彼ら、彼女らがどう対応するのか不安だ。

それはさておき、本作では、しっかりした大人と、まじめな子供たちが登場する。大人になって思うことは、大人はぜんぜん完全ではないこと。子供のころにしっかりしているように見えた大人も、振り返ってみると穴だらけだったことも多い。逆に、いい加減なように見えた大人も、それなりに何かしようとしていたこともわかる。本作に出てくる大人は、完全ではないけど、できる限りのことをしようとしたり、子供に任せたりしている。物語中でも言われているけれど、子供にすべてを任せるのは怖いことだ。失敗も糧になると理解していても、つい手出しをしたくなるだろう。軸となるこの先生のほかに、いろんな形でサポートしようとする大人が素晴らしかった。

明確な個人としては登場していないけど、陰湿な行動をする大人も描かれている。現実に、他府県ナンバーの車を追い出そうとする大人もいたし、そこまでの悪意はなくても、行動として現れる姿が醜いおとなも大勢いることは、触れずにいられない。

この作品を今読めたことは幸運だった。

 

・小池伸介 ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら

熊は消化能力が低いので大量に食べて大量に排泄するとの話をどこかで読んだ記憶がある。あの巨体を木の実で支えようと思うと、それは大量に必要だろう。臭くないのはなぜか、という点は書かれていなかったとおもう。動物を食べる個体の糞は臭そうだけど、どうなのだろう。

記録する装置の進歩が著しく、二十年ほどでかなり小型化されたり画質が上がったりしている。それでも、不便な時代に培った技術が活かされるのは面白い。こういう話はどの分野でもありそうなので、ほかの分野の話も読みたい。

 

・斜線堂有紀 回樹

初めての斜線堂有紀の作品。条件付きミステリの短編集。細かいところまでは想像していないのかな、と感じる設定が多い。例えば、死体を全く処理できないとの設定があり、死体を燃やしても物理的に圧をかけても全く変化しないとの設定がある。これは、死にかけの人を観察することで、どの段階が死なのか、死と判断されるのかをはっきりできる。寝たきりの患者に注射ができなくなる、もしくは針が抜けなくなった時点が死だ。でもきっと著者はその点については細かいことは考えていない。例えば、自爆テロのため爆弾を抱えていたとしたら、爆発した瞬間に死と判断されるのだろうか。その場合、全く外部の影響を受けない物質がそれなりの速度で散らばることにいなる。全般的にこういう特異設定ミステリを書く人なのだろうか。つまらなくはないけど、若干物足りない。次を読んでみよう、と思える作家なので、もう少し何か読んでみる。

 

・町田その子 52ヘルツのクジラたち

ほんタメであかりんが絶賛していたので購入。調べずに書いているけど、ほかのクジラと周波数が合わない声を出すクジラは、自分の声は聞こえているのだろうか。聞こえている場合、可聴域が広いのか、ほかのクジラの声が聞こえないのかどちらなのだろう。前者の場合、ほかのクジラにも可聴域が広い個体がいる可能性は高そうなので、どこかに声が届いていると期待できそう。後者の場合、ひとの聾者のように、ボリュームの加減ができなかったりするのかもしれない。何クジラなのかはわからないけど、話の流れからして集団で生活する種類ではないのだろう。となると他の個体と接していたのは母親だけで、もしかしたら誰にも声が届いていないことには気が付いていないかもしれない。それはそれで悲しいことなのだけど、気が付いていない分(そして気が付くことはおそらくない分)ましなのかもしれない。

 

汀こるもの お遍路とご霊返し 煮売家なびきの謎解き支度

これがシリーズ最終巻とのこと。どこまで本当かわからないものの、現代とは倫理観や価値観が異なる登場人物の言動が面白い。今の状態で、その時代に生まれたらと考えるのは若干無理があるかもしれないけど、全然違う人間として生まれることを想像しても意味がない。ということで、今の性格のままその時代に生きている場合を考えると、その時代に生まれていたらおそらく何の疑問も持たずにその時代の価値観で生きているのだろう。

何もない状態から、物事の仕組み自体に疑問を持てるほど切れ者ではない。つまり、そもそもの仕組みがおかしいかもしれないと考える土台がある。ただ、何も疑問を持たないで生きることで生きやすくなっていたひとも、もちろんいたことだろう。どちらかというと、教育を受けていないことに自分から疑問を持つタイプではない。例えば、研究について知ることができれば、研究をすることはできるとおもう。でも、制度として何もないところに、こういった制度がないのはおかしいとの疑問は持てないだろう。良くも悪くも小市民的であり、決められた範囲で最適解を探すことができても、何かを大きく作り変えるようなことは、きっとできない。

紙の記録に残らないもの、例えば話す速さや食べる速さは想像しにくい。多少言葉に残されているかもしれないけど、なかなか現実と一致するものではないとおもう。そのあたりを、現実味を持って書くことが歴史小説の難しいところかも。江戸の食堂(とは言わないかも)の様子とか、現代の姿をもとにイメージしてはいけないと思いつつも、脳内で映像化されている情景は現在のものに近い、もしくは時代劇の影響を大きく受けている。それが悪いとは思わないけど、ときどき気に留めて、考えてみる。

 

川端裕人 ドードー鳥と孤独鳥

 

この前に刊行された、「ドードーをめぐる堂々巡り」と対になる作品。事実を調査したのが「ドードーをめぐる堂々巡り」で、もしかしたら、を考えたのがこの作品。絶滅した動物について、その理由を調査したり思いをはせたりするのは良いのだけど、近縁の動物を用いて復活させることは良いことだろうか。昔からマンモスの復活プロジェクトの話は聞くし、そのほかいろんな生物の復活が試みられているのかもしれない。当然、技術を確認する意味で研究を進めることと、その技術を用いて復活させた動物を世に解き放つことは違う。動物の復活を人間に当てはめて考えるのも違うとは思うけど、ある日復活させられたものの、どこにも仲間がいない状況で、それまで育った環境もなく、どこにも行くことができないのであれば、僕は復活したくない。まあ、仲間がいないとか育った環境がないとかは言われないとわからないことだし、気が付かないまま死んでいくのだろう。

骨しか残っていない生き物について、どんなふうに動いていたとかどんな色だったのかとか、興味は尽きない。復活させる技術を手にしたら、きっと使ってしまう人がいる。ゲノム編集も、表に出ていないだけで、倫理的にいかがなものか、と問われるような研究もおそらく進んでいる。成果が出るまでに時間を要するから、まだ表には出ていないだけとおもう。それを良しとはしないけど、行き過ぎないようにどこかで規定する必要がある。

 

三浦しをん 好きになってしまいました

三浦しをんのこまごまとしたエッセイをまとめた作品。エッセイでは自分を落として書いているけど、作品を読んでいるとすごく優秀な人だと感じる。要点を引き出し、わかりやすく伝えるためことは、その物事を理解していないとできないことだ。

三浦しをんさんは、自分の好きなものをがあっても、他社の好きなものを否定しないし、どういう付き合い方をするかについても否定しない。もちろん、犯罪につながるような形は許容しないだろうけれど、他社を否定しない姿勢は好ましい。まあ、他人がそれぞれの趣味にどう向き合っているなんて気にする必要はないのだけど、お金の使いすぎだの時間の無駄だの、否定的なことを言いたがる人は大勢いる。

前にも書いたことがあるような気がするけど、基本的に趣味についてはほとんど話さないし、好きなものについても、しいて言えば好きかな、ぐらいの事柄について話すようにしている。好きなものを否定されるとやはり少しいらつくし、否定ばかりする人に好きなものを伝える必要は感じないからだ。好きなものの布教をしている人は強いな、とおもう。好きなものが廃れていくのは嫌だし、なくなってほしくはないけど、自分のささやかな影響に比べて、いやな思いをする可能性が高いため、あまり好きなものを広めたいとは思わない。

SNSは全然していないので実感としてはわかっていないけど、同好の士を見つけられたら、好きなことについて話すのも楽しいのかもしれない。書きながら気が付いたけど、やはり、あまり好きなものについて話したいという欲がないようだ。自分だけが楽しければいいというエゴかもしれない。周りも一緒に楽しみたいという気持ちは、いやなものは一緒に嫌いたい、という気持ちと背中合わせな気がしてしまうのもある。人は人、自分は自分とのスタンスを保ちたい。これは、あまり他人には興味がない性格も関与しているだろう。

 

・新天新地 ゴブリン令嬢と転生貴族が幸せになるまで

前世は容姿が見にくく異性に相手にされなかった男性が転生し、先天性の疾患により容姿がゴブリンのようになっている伯爵令嬢と恋に落ちる話。

なかなか容姿については共感しづらいというか、もともと見た目が良くなかった男性が生まれ変わった時に見た目が良くなっていたら、それを生かして生前モテなかった分を取り戻そうとしそうだけど、主人公は見た目にはこだわらず、中身を見ようとする。中身を見ようとするのは素晴らしいことだと思うけど、自分自身を振り返ってみても、見た目が良くないとやや卑屈な発想になりがちで、見た目がいい方に行くのだろう、などと考えがちで、中身も少しよどんでいることが多いのではないだろうか。とはいえ、だからこそ主人公の変わったところが浮き彫りにされて、物語は面白くなっている。

イラストがかわいらしいせいか、どうもヒロインが醜いと書かれてもピンとこないところがあった。かわいい子のコスプレのようなイメージになってしまう。主人公のほかにもヒロインのかわいさを見出す人がいてもおかしくはなさそう。

物語は中盤から意外な展開はなく、それでも面白く読めた。展開だけが物語の面白さではないし、ひどく疲れているときにはこういう作品を欲することもおおいので、これからも、展開は分かるけど面白そうな話を読んでいくだろう。3巻まで読んだけど、2巻までで十分かも。

 

・なんかの菌 水族館飼育員のキッカイな日常

全くの未経験者が雇われることもあるんだ、と驚いた。目新しい話はあまりないけれど、エッセイとして面白い。

 

走馬灯のセトリは考えておいて

初めての柴田勝家の作品。短編集。作品により面白く感じたものとそうでないものがあった。好きなのは表題作と、福男の話。他の著作も買ってみよう、とならないのは、この設定でこういうことが起きた、とあるとき、どこかで「本当にそうなるかな」と引っ掛かっているせいだと思う。同じ条件で、もしこうだったらどうなるか想像してみて、と言われたときに想像する内容と異なるからかも。