古宮九時 Unnamed memory-after The end- 1巻

あらすじは販売サイトでも参照してもらったら、とおもう。前作とかBabelを読んでいたほうが面白い。

身体的なピークは比較的若いうちにあって、そこからの落ち方は結構激しく、自覚できることも多い。一方で、思考など、脳の活動については、もちろん同時期に瞬発力のピークが来ているのだろうけど、考えるということは過去の知識を使うことも多く、総量として減ることは自覚しづらいのではないだろうか。高齢になっても記憶力や思考力が衰えない人は、常に考えているからなのだろうか。かといって思考力が衰える人があまり物事を考えない人とも限らないのだろうけど、どこで違いが出てくるのかは興味がある。と書いては見たものの、高齢になるとあまり考えなくても、これまでの経験で物事を進められることが多い気はする。新しい仕事や、新しい場所での生活はストレスになるとか時々ニュースで見るけれど、高齢になってからの付加は、身体的な不可と同じように、受け止めることが難しくなっているのだろう。若者にとっては適度なストレスになるような負荷でも、高齢者には体調を悪くするような負荷ということか。

どれだけ長い間一緒にいたとしてもそれがストレスではなく、楽しく感じられる相手がいるのは素晴らしいことなのだと思う。正直に書くと、長く一緒にいてもストレスにならない人が想像できないのだけど、世の中にはいつまでたっても仲がいい人たちはたくさんいるし、きっとそういう関係性もあるのだろう。

一人でいることに慣れてしまうと、他人と生活することにかなり抵抗感がある。そういう意味では、ティナーシャは柔軟な思考を持っているのだなと感じる。一人がうらやましい、という家族持ちも時々いるけれど、子供が巣立っていったらさみしいようだ。どっちなの?と思うけど、実際には一人だと寂しいタイプの人なのだろう。今は仕事をしているので、誰との話さないことはないけど、休日はだれとも話さない。これが続くと寂しくなるのだろうか。新型コロナウイルスの感染拡大が起きてから、比較的長い休みも一人で過ごす機会が何度かあった。それでも、まだ特にさみしいと感じたことはない。一人に向いているのか、いつでも話す相手がいると考えて高をくくっているのか。

一人で過ごすようになってから、一人で死ぬときのことをよく考える。部屋で死ぬ場合は、きっと、死体の処理があるから死ぬなら死ぬと連絡しなければ、と考えながら死ぬのだろう。病院では、ある程度死ぬまでの猶予がありそうなので、死後の処理については済ませていたい。