ちょっと自分とは能力も立場も違いすぎて共感はできないけれど、能力に優れた人も、それはそれで苦悩があるのだな、と想像する。2巻では、ティナーシャの若いころ(見た目はずっと若いけれど)の出来事が描かれている。若いままでいることと、その状態が解かれることについて若干、ん?と思うことはある。時間を止める技は多くのフィクションで出てくるけれど、周りの時間が止まっている間本人の時間が流れて、本人の老化だけが早まるパターンは、まあフィクションとしてはあってもいいかとおもう。周りの時間が止まっていて、その間自分も動けるのに自分の時間も流れないのはちょっと違うのでは。その間、自分だけ超高速で動けるとしても、うっかり触ってしまったら自分も相手も大ダメージを受けてしまうだろうし、光も止まっているので何も見えない、移動するたびに、そこの空間に残った光だけが見えるかもしれない。そこまで言わなくても、自分だけが動けるのは、もはや時間を止める技術ではない。真面目に考えると、時間が止まった時は自分も止まっているだろうから、主観的にも客観的にも何も変わらない。しょっちゅう時間が止まっていたとしても同じことなのだ、とかおもってしまう。もちろん、フィクションでそんな風に考えると面白くないので、時間を止められると言われるとそれを受け入れて読んでいる。
ティナーシャは強大な魔力を持っていてもあまり遠慮しないし、魔法ではできないこともあるようだ。結構記憶も好きにできるみたいだけど、周りとの整合性を考えると、個人の記憶を消しても何かのきっかけで戻りそうだし、記憶を焼き切るようなことをすると人格にも影響しそうなので、そこまで自由でもないようだ。
一人きりで長く生きることを楽しめるか、と言うと、ある程度は大丈夫かもしれないけど、何百年となると、死にたくなるような気がする。今は、もちろん楽しいことばかりではないし、老化もするので、こんな状態で長生きしたいとは到底思えないけど、若いころの体を持ったまま、苦痛がそれほど多くなければ、ちょっと長生きはしてみたい。