鳳乃一真 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金

 

世界中の遺跡からびっくりアイテムの収集につとめていた少女が殺害されたのち地縛霊としてあるアパートによみがえり、そのアパートに引っ越してきた少年を介して外部と交流する。ある意味安楽椅子探偵、ではない。七々々は多くを知っているけれど、今を知らない。

あまり現実味はなく、常にフィクションであることを意識する作品で、個人的には珍しい感触だ。なんとなく現実にいる人の感覚に近い登場人物がいて、その人物を通して世界の異常さを測ることが多い(か?感覚としては、かな)中、ほとんどが超人なので、そういう人たちの世界なのだなと常におもう。そこで感じるのは、多少身体能力や思考能力が卓越していても、考える枠はヒトから大きく外れるものではないのだろうか、という点だ。我々人類は、ほかの思考する生物に相対したことがない。類人猿や、脊椎動物も思考するのかもしれないけれど、今現在彼らが思考していると感じられるのは、人類の思考を基準として外挿しているだけだと思う。つまりは、錯覚だ。もし、類人猿が深く思考していたとしても、それを我々の枠組みでとらえることは難しい、もしくは不可能だ。もっと言ってしまえば、同じヒトでも思考しているかどうかはわからないのだけど。

感覚が似ていても異なる生き物について、どこまで共感できるのだろう。腕がちぎれても生えてくる世界では、腕をちぎられることの意味合いは、現実世界よりも小さい。死んでも生まれ変わったり幽霊になったりしてその環境に戻ってこれる世界では、死ぬことの意味合いは、現実よりも小さい。そういった世界(物語)でも、悲しいことには共感するし、楽しいことにも共感する。飼い犬がはしゃいでいたら(いるように見えたら)こちらも楽しいのと同じだろうか。ヒトと異なる生き物たちでは、きっとそれぞれの感覚が占める価値が異なるのだろう、と想像する。片手を失った悲しみよりも、生きなければいけない、生きよう、とする思いのほうが強い。ヒトはある意味感情に支配される。損得勘定を超えることも多い。それはつまり、感情の価値が高いということだ。話がそれてきているので、感情の価値については別の機会に書くとしよう。

今これを書いている現在、10巻まで読み終わった。途中でイラストが変わって、印象がずいぶん変わった。初めのイラストの印象で読んでいるので、イラストが出てくると若干の違和感がある。体調不良による交代でったようだけど、元のイラストレータの赤りんごは、今も活動中で、無事回復しているようで何より。終盤を控えての感想だけど、まず。びっくりアイテムを奪われた人たちは特に取り返しに来ないのだろうか。誰に奪われたかはおそらく把握しているはずなのに、取り返しに来る様子がない。すべて円満解決だったのだろうか。初めに書いたように、だいぶ現実の感覚とはずれているところがちらほらみられるので、もしかしたらこれは現実世界ではないのでは、との思いがある。それでは少し面白くないので、違った結果が望ましいのだけど、さて、どうなるだろうか。

そして、読み終えた感想は、なんだこれは、だ。こういう終わり方があってもいいと思うけど、続きをどこかで書くとはっきり書いてある以上、最終巻と銘打ってもいいものか。なんとなく、自分の中では完結してしまった感じがあって、次に出たときにすぐに読み始めることはないとおもう。完結したことをどこかで知って、気が向いたら読み始めるだろう。若干頭が固いところがあって、何かが最後、と公言した後、実は続くといわれてもあまり盛り上がれない。何年かたって、復活するものはあまり気にしないので、切り替えが遅いのだとおもう。次に読もうと思ったときは、アニメを古く感じるかもしれないので、今のうちに見ておいて、声のイメージを固めておこうと、見た。

少し上に、びっくりアイテムを取り返しに来ないのだろうか、と書いた。アニメを見ていて思い出したのだけど、七々々が集めてきた道具をガラクタ扱いされて、ちゃんと使えば感謝されるのに、と傷つく場面がある。ちゃんと使われる場所から盗み出してきたのは自分ではないのか、と読んでいた当時も思った。面白半分で盗んできたもののなかには、それがあれば助かった人も大勢いただろう。逆に、それを盗んできたから傷つかずに済んだ人もいるともおもう。そのあたりについて、あまり深くは考えていないのだ。子供だからかな、と一瞬考えたけれど、昔の博物館など、面白いからと言って略奪してきた大人も多い。独善的な面が強い。ただ、そんなこと踏まえていては物語は進まないし広がらない。読む時期によっては気にもしなかったことだろうとおもう。今が過敏にそういったことを受け止めてしまう時期なのかはわからないけれど、メモとして残しておこう。