椹野道流 貴族探偵エドワード 琥珀の扉をひらくもの

特別目新しいところは無いものの、安定した面白さがある作品です。この作品のいいところは不可思議な現象に無理やり理由をつけるのではなく、魔物の仕業とか、不可思議なままでいるところです。もちろんSF小説のようにいろいろと理論構築するのもそれはそれで楽しみの一つなのですが、ひとつの思い付きを無理やり押し通すような小説にはげんなりしてしまいます。電磁波とかプラズマとか、書いている本人はどこまで理解しているのだろうと思ってしまうものもたまにあるので、不可解なものをそのままにしているほうが好ましく受け取れるときもある、と言うことです。
今回は刑事が良い味を出していました。イラストではかなり若いようですが、なかなか好青年です。彼は事件の被害者を引き取ることになるのですが、それが自分のためであることをきちんと自覚している。誰かのために何かをしてあげることは気持ちがいいことかもしれないのですが、似たような境遇の子は他にもたくさんいて、すべてを救えるわけではありません。それでも、自己満足だとしてもそのひとりを引き取った彼に好感が持てます。
一生懸命恩人に尽くそうとする少年は不器用な愛情を受けてこれからどう成長していくのでしょうか。主人公が年を取っていくシリーズでもないのでこのまま成長した彼の描写を見ることは無いでしょうが、せめて短い期間だけでも変わっていく姿から未来を想像して楽しむのもひとつかもしれません。ちょっと内容に触れるのでここからは隠します。
新しい登場人物としてもうひとり「かわいいお婆ちゃん」が登場します。「アナン」で、身体の成長が止まると精神の成長もその影響を受けるとの描写があったと記憶しているのですが彼女はどうなのでしょうか。成長が止まるとしてもどの時点で止まるのかによって影響も変わると思います。インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアで、クローディアは少女のまま時を止められてしまいます。精神は成長するにもかかわらず体は少女のままのクローディアは大人の女性にあこがれる。ある程度成熟(成長)してから変化が無いのは「老化が止まる」ことであり、これまで多くの権力者が望んだ姿かもしれませんが、幼くして変化がなくなることは「成長が止まる」ことであり、周りから見れば純粋無垢な姿が残されているように見えるのですが、本人としては不服でしょう。
老化していくことを受け入れるのは仕方が無いことだと思っていたのですが、精神の変化(成長)には必要なのかもしれないと考えるようになりました。達観する必要は無いと思うのですが、死を受け入れるためには外見とか身体能力の低下も欠かせない出来事のひとつなのかもしれません。