三浦しをん 風が強く吹いている

風が強く吹いている

風が強く吹いている

 走ることは嫌いだ。ただ走るために走ることなんて考えたくも無い。競技のためにはしるのはしかたがないことだと思っていたこともある。でも、ただ走るために走るのは今でも嫌だ。そう考えていたはずなのにこの本を読むと走ることに対する意識が変わった気がする。これまで箱根駅伝を見ていても日本人はマラソンが好きだな、としかおもえなかった。でも、来年の箱根駅伝を見る目が変わるかもしれない。そう思える作品だった。
 物語はなぜか賃貸料が安い竹青荘から始まる。唐突に箱根駅伝を目指すことを住人に告げる清瀬清瀬は最高学年になる4年生になるまで着々と準備を進めてきた。そうとは気がつかない住人たち。機は熟した、と清瀬が判断したのは、パンを万引きした走が駆けながら逃亡する姿を見たときだった。清瀬と走を除けば競技陸上なんて程遠いメンバたちが清瀬の謀略に乗せられつつそれぞれが走ることに対して意味を見つけていく姿は、現実にはありえないかもしれないが美しく、すばらしい。
 物語なので当然悪役もライバルも登場する。だが彼らもまた真剣に走ることに対して情熱を向ける青年であり、それぞれの視点をないがしろにしない三浦しをんの姿勢に好感が持てる。早く走ることが大切なのか、それ以上に求めるものがあるのか。それは個人個人の抱える課題であり、普遍的な主題でもある。
 物語の主人公は走なのかもしれない。しかし、もっとも格好よく見えるのは清瀬だった。古傷を抱え、それでもなお走ることへの情熱を捨てきれない清瀬は言葉巧みにメンバたちを奮起させ、時には脅迫し、それぞれのモチベーションを鼓舞する。誰よりも動き、誰よりも真剣な清瀬に対して不満を抱くときがあっても誰も文句は言えない。もしかしたら傍から観れば箱根駅伝を目指す清瀬の自己満足に引きずられる形に見えるかもしれないが、清瀬はそれぞれに対する気配りを欠かさず、メンバもそれをわかっている。ある種ご都合主義に話は進むが、それぞれが清瀬に対して信頼する理由を描いてあるためその辺はあまり気にならないだろう。
 三浦しをんが男ばかりの世界を描くとあって、もしかしたらまた同人誌のような展開があるのか、とも邪推したがそんなことは無く、まっとうな青春小説だったと言える。終盤では目頭が熱くなってしまうほどだった。ささやかに場を彩っていたヒロインの想いはどこへ向いていたのか。本文を読んだ限りでは判断できなかったが、それは読み手が恋愛に対して不慣れなためだろうとしておこう。エンタテインメント小説としては直木賞をとった作品よりも優れているかもしれない。そして、改めて思うのは三浦しをんの日本語が非常に端正であるということだ。直木賞がフロックではなく、実力であることを示した三浦しをんの今後に大きく期待させる一作となった。