デイビッド・イーグルマン、脳の地図を書き換える 神経科学の冒険 、ジェフ・ホーキンス、脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論 

 

この2冊の感想をまとめて書いてしまうのは乱暴ではあるけれど、とても近いことが書いてあった。脳について疑問に思っていたことを解決できるような理論がここに書いてある。もちろんすべてが明らかになったわけではないけれど、不思議だったことの一部が解決される。
キャンペーンに乗じて購入したものの、ある程度近い分野にいたことがあるのに、理解力が落ちてしまったのか、書いてあることがそれなりに高度だったからか、読み進めるのに時間がかかった。どれくらいの速さで読んでいるのかはわからないけど、冬木糸一さんはさらっと読んでさらっと解説を書いているように見えるので、僕よりもだいぶ頭がいい人なのだろう。
これを読んでしまったことで、SFにでてくる人工知能や、電脳世界への移動が素直に受け入れられなくなったかもしれない。違う。近視的な未来像では受け入れにくくなってしまったのか。いつか、考えることができる人工知能はできるだろうとは思うけど、それは、今のSFにあるような、CPUだけで完結するようなものではない。外部の情報を受け入れるセンサが大切なのだ。そこかしこにあるウェブカメラやマイクがものを見聞きして、それをフィードバックすることはできるだろう。後は、圧センサや、嗅覚、味覚のセンサがそこかしこにあるような世界にならなければ、ヒトのような知能を持った人工知能は生まれないのかもしれない。同じセンサを使って情報収集したら同じ人工知能ができるのでは、との疑問もあったけど、同じものを見ていても同じ人にはならないように、人工知能にもきっと個性が出てくるのだろう。ただ、ロボット三原則のような縛りを設けることはできるのだろうか。それを設けることで、知性の上限が作られてしまうのではないか、と少し思った。
感想を書いたものの、本の内容はこんなものではなく、とても面白い。電子書籍を読むようになって再読することがほとんどなくなってしまったけど、一度で理解できないような本は何度も読んだ方がいいと思う。まあ、なんだかんだ言い訳をしながら再読することはないだろうけど。

鈴木紀之 すごい進化

 

 

進化は魅力的なテーマであり、生活に心配がないほどの財産があれば研究してみたいことの一つだ。いまだ、いろんな説があることも面白い。これまで、進化とは生物がいろんなパターンを作り出して。その中で環境にあったものが生き残ってきたものと受け止めてきた。この本では、適者生存のみではなく、制約についても触れられている。ハチに似たアブなど、言われてみると、何かに似せた動物はたくさんいるけれど、結構雑な似せ方をしたものも多い。完全に同じようにしてしまうと、天敵が避けるだけではなく、自分たちも間違える可能性が高くなるとの考えが提示されている。ホラー映画などでは、人間に似た外見の生物が宇宙からやってくることがあるけれど、あるフィルタを通してみたら区別ができたりする。動物でそのフィルタのような役割をしているものはないのかな、と想像する。たとえば、可視光(天敵が見える範囲のスペクトル)では毒がある生き物と似ているけれど、その生き物の可視範囲ではまったく別の模様に見えるとか。すごくそっくりな生き物(がいるのかどうかは知らないのだけど)で、そういった見分け方をしているものがあるかもしれない。似せ方が雑な可能性として、ある程度似ていたらあえて毒を持っているかもしれない生き物を食べないだろう、という考えも提示されていた。長くてくねくねしたものが飛んできたら蛇だと認識して驚くくらいなので、瞬時の判断材料としてのクオリティがあればそれで充分であると考えてもおかしくはない。

 

何かの意志で形や性質が作られたように考えがちだけど、たまたま今はその形があっているだけで、大きな存在が創り出していることはないだろう。似ているものが多かった時期があったのかもしれないけど、別のデメリットにより減少した、という過程があったのかもしれない。単純化しがちではあるけど、主要な因子に限ってもそれなりにあるし、ある面を見ても部分的に納得できる程度だ。それでも、ある生き物で立てた仮説が、他の生き物に当てはまったことが確認できた時などはとても面白いとおもう。内容はテントウムシなどの話が多く、偏っているかもしれないけど、多くを語るには紙面が足りないし、新書ならばこれくらいとがっていてもいいかもしれない。とても面白く読めた。

池澤真/津留崎優 異世界美少女受肉おじさんと

 

 

 

アニメは原作に準拠していて、テンポのいい展開が再現されていて面白かった。なかなか想像するのが難しいところだけど、精神は肉体の影響を受けるのか問題が描かれている。多くの作品で、老化しない、または老化が遅い種族は生きた年月に対して精神面が幼いように描かれている。一方で、ゴブリンなど繁殖力が高く寿命が短い種族は、知性が足りないというよりは、成長する前に死んでいるようなイメージだ。やはり人間を基準に考える人が多い。例えば、寿命が短い生き物は、集団として一つの知性があり、記憶を引き継ぐ方法があってもいいのでは、と思うのだけど、どちらかと言うと草木の精霊がそんな感じで、動物でそういう表記はあまり見ない(もちろんあるだろうけど、読書の範囲にはないということ)。この場合、記憶を受けたほうは、すぐに精神が成熟するのだろうか。幼い状態でこれまでの経験の蓄積を受けるとなると、老化が遅い状態とあまり変わりはないはずだけど、イメージとしては記憶を受けた時点から大人びた考え、行動になる。おそらく、転生ものでは大人の意識が子供に入ることがあるので、その時の描写の影響を受けているのだろう。

山本健人 素晴らしい人体

 

 

素晴らしき人生、と掛けているのだろうか。ちょっとした豆知識が多く、知っていることも多かった。ただ、あいまいだった知識が補完されることも多く、ためになったし、文章も軽妙なのでするすると読めた。自分の体の重さを意識していない、との話が作中であり、もちろんそれも感じるのだけど、子供を持ち上げたりすると、こんなに軽いのに自分と同じ内臓が詰まっていて動いているのだな、と感心する。脳もさほど大きさが変わるわけではないので、その気になれば子供サイズでも大人と同じ知的活動は可能なのだろう。他人と比べて頭蓋骨が大きい(帽子のサイズ的にそうおもう)のでおそらく脳のサイズもそこそこ大きいと思うのだけど、脳の大きさと知力に相関はあったかな。まあ、現実として大した能力はないので、関連があろうがなかろうが自分には当てはまらない。空き時間に少しずつ読むつもりだったのだけど、すぐに読み終わってしまった。少し前に、鳥はすごいとか、虫はすごいとか、植物はすごいとか、似たタイトルの本が出てきて、どれも面白かった。素晴らしい昆虫、とか素晴らしい鳥類、とかで、また別の視点から生き物のすごさを書いてくれるといいのになあ、と期待しつつ感想を終える。

長谷敏司 プロトコル・オブ・ヒューマニティ

 

とてもいい作品だった。人と機械の関係に迫るところと、人同士の関係を描いた作品で、いろいろと考えることが出てくる作品だ。

まだ介護をした経験はなく、身内も少し認知症がで始めたら、そのあとはあまり長くなかったので、介護の大変さは、文章から想像する以上には理解できていない。想像することは大切だとおもうものの、臭いや疲労感は想像に限界があるし(できる人もいるかもしれないが)、長期間それが続くことの辛さとか、先が見えないこととか、自分自身の人生が消耗していくことの辛さは、当事者にならないとわからないような気がする。それにしても、個人差が大きいだろう。今高齢の方にどうしてほしい、ということではないけど、自分が認知症になる年齢になった時、おそらく周りに世話をしてくれるような人は誰もいないし、どうなるのだろうと漠とした不安はある。貯金をしていても、それすら忘れてしまうかも、と思うときもある。脳梗塞などにならなければ、一気に進行することは少なそうなので、健康に気を付けつつ、年を取りたい。遺伝的な素因がどこまであるのかはわからないし、前の世代よりも長生きするだろうから、前の世代では見えなかったものが見えてくることもあるだろう。団塊の世代がまとまって認知症になる時期が迫っているけれど、そこかしこに現れて、認知症になることへの抵抗が減ればいいかな、と思う一方、忌避感が強くなるかも、とも思う。若い人は特に、年を取った自分が想像しにくいもので、目の前に現れた認知症患者たちが未来の自分の姿とは思いにくいかもしれない。

介護については、する側の不安が先で、そのあとされる側の不安が来る。もう、介護する可能性がある人は少ないので、彼らにはつつがなく長生きしてほしいところだ。前にも書いたけれど、おそらく孤独な老人になっているので、自分が認知症になった時のことを考えると、ものすごく不安になる。そのころにはぼけているから不安になっていることもわからない、との笑い話が昔あったけれど、実際のところ不安は残っているようだ。その不安を感じたことは記憶には残らないようなので、不安になっていることがわからないというのも一面事実なのかもしれない。できる対応は、よくわからない状態になってしまう前に、お金を支払うシステムに加入するとか、管理を任せる組織に依頼するとかかな。

この本は、冬木糸一さんのブログを見て発売されることを知ったのだけど、ブログを読んだ時点で、これは見ないほうがよかった、と感じたことがあり、それは読後、改めてそう思った。冬木さんの書評は、他人を読む気にさせる素晴らしいものだと思うけど、読後に読んだ方がいいときもあるのかもしれない。この文章を先に読むひとはほとんどいないだろうけど、冬木さんのこの本の書評は読後に読んだほうが良いかも。

マーサ・ウェルズ マーダーボットダイアリー

 

 

アマゾンのお勧めに上がってくるものの、なかなかフェアの対象にならないこともあって、後回しにしていた作品。何冊か購入すると10%ポイント還元の対象になっていたのでようやく購入。

期待値が上がりすぎていたのか、思っていたほどのインパクトはなかったけど、面白かった。強化人間として周りから見られているとき、男性型として見られているのか、女性型として見られているのかが気になる。あと、声の描写はなかったとおもう。どんな声なのだろう。肉声なのか、どこかに仕込んだマイクを通して話しているのか。

何かの実験で、ぬいぐるみが話したとき、幼い子供はそこに命があるようにふるまっていた。子供はそれが生きているかとかは考えていないだけかもしれないけど、どういうときに命を感じるのだろう、と考えた。掃除用ロボットが、同じところを何度も往復するのを見て、かわいそうと思う人もいるようだ。ロボットに命があると考えているわけではないだろうけど、ヒトとしての立場から見たとき、無駄な労働を繰り返しやらされているように感じているのかもしれない。

近年AIの発展が著しく、対話型のAIでも違和感はないくらいになってきた。ただ、あくまでもそのあたりの情報をもってきてそれっぽく話す(書く)ことができるていどで、意思を感じることはない。意志を感じることはない、と書いたけど、それは質問する側の、出力の要求の仕方に問題があって、意思があるようにふるまってほしい、と書けばそれっぽい反応が得られるような気がする。

少し話がそれるけど、仕事をしていると、やる気が感じられない、と上司ほかから言われることがある。しかし、客観的に見れば仕事をしているはずであり、やる気が感じられないから何なのだろう、とおもう。逆に、やっている感だけを示しているけれど何も仕事を進めていない人に対してもそれなりに辛辣な意見を言うので、やる気があれば良いわけでもないらしい。やる気を示すためだけにエネルギーを使うのはものすごく無駄な気がするのだけど、どうだろうか。この話にそれたのは、AIがホワイトカラーの仕事を奪う、との記事がまた出ていたからだ。やる気を見せなくても、とにかく結果を出せばいいのであれば、AIにある程度作業をさせて、ヒトがそれを確認し、次に回せばいい。AIにとってかわられるというよりは、仕事の一部を任せられるようになる、と言ったほうが近いのではないだろうか。トータルとしての人の仕事は減るだろうから、ある意味とってかわられるともいえるけど。

 

この作品の主人公は自分で考えることができるし、好き嫌いがある。動物の好き嫌いは、進化の過程で避けたほうが生存できたとか、近づいたほうが生存できたとの選別があったからで、機械には好き嫌いはないはずだ。だとすると、主人公の感覚のもととなる人格がいたのではないだろうか。人を監視していたら感覚が芽生えたというには、偏りが大きいように感じる。まあ、1例だけだから、偏っていてもおかしくはなく、物語になるにはそれくらいの偏りがなければいけないのかもしれない。

ヰ世界情緒 anima2

ヰ世界情緒 anima2不可解3(想)が良かったのでこちらも視聴。クラシックバレエの経験があるのか、手足の動きが伸びやかに感じた。衣装はかわいらしく、舞台も凝っていた。噴水の花とか、どういう設定になっているのだろう。時々手が服の膨らんでいる部分と重なっていたり、階段が壁になっていたりしたけど、逆にリアルタイムで処理しているのだな、と感じた。ディスコパートは録画っぽい。Cielはアバターがものすごく細いのだけど、本人も細いのかな、と想像させる声質で、よく言えば儚さを、悪く言えば脆さを感じるキャラクタだ。ライブで2時間歌えるのだろうか。まあ、単独ライブはもう少し後だろうし、大勢助っ人がいてもいいとはおもう。春猿火は、少し顔が浮いているように見えた(気のせいかもしれない)。本人のライブではもう少し改善されるかも。ヰ世界情緒の歌は安定していてとてもよかった。2時間以上歌い続けることができるのは素晴らしいことだとおもう。同位体とのデュエットでは、本人の口は歌詞の通り動いているように見えて、同位体は、口があっていないように感じた。わざとなのか、同位体のモーション担当者がいないのかはわからない。

これを書いているのは視聴した翌日で、この後数回はアーカイブを見るつもり。通信環境に問題があったのか、途中で一瞬だけ止まってしまったので、次は万全の態勢で臨みたい。画質も、時々悪くなっていたのがちょっと残念。一応光回線を引いているのだけど、日曜の夜はあちこちでネットワークが使用されていて、通信状況が悪くなってしまうのかもしれない。不可解3(想)の感想にも書いたけど、TVで見られないことはないものの、今一つ使い勝手が悪い。何らかのアプリがあって、Chromecastで見られたら便利だとは思う。Chromeの画面を飛ばすこともできないのは、何かしらの目的があるのだろうけど、不便といえば不便。結果、今回もPCから視聴。普段TVにつないでいるスピーカで聴いていたけど、位置がずれているのがやや気になった。アーカイブはヘッドホンで聞くか、スピーカの位置を修正するか考えているところ。不可解3(想)はリアルタイムはヘッドホンで聞いた。耳が熱くなるので苦手なのだけど、トータルで考えるとヘッドホンのほうがいい。

次回ライブは幸祜。個人的に、VWPでは一番なじみがないアーティストだ。アルバムは出ていたかな?神椿のアーティストは、一般流通経路でCDを売っていないので、Moraとかで売っていたら購入することもあるけど、最近までは圧縮音源しかなかったからあまり買っていない。別にハイレゾにしなくてもいいけど、CD音源で売ってほしい。と書いてVWPのCDは注文したことを思い出したけど、もしかしたら配信でも売るのだろうか。物理的なCDがなくてもかまわないので、配信があるなら配信で購入したい。アクセサリが欲しい人はCDを買うだろうから、先に通知してほしい。

ぼーっとしていたらアーカイブ配信の期限が迫っていた。この期間も短いといえば短いけど、何度も見たい人は集中してみるのだろう。アーカイブはコメント付きで見てみた。ほとんどが拍手とかで、受け手としては観客の存在が感じられていいかもしれないし、観客としては、ほかのファンとの一体感が感じられて良いのかもしれないけど、そういうのを求めていない人にとっては見なくてもいい内容だった。ここで、ではどんなコメントだったら見る価値があるのか、と考えてみたけど、ものすごい速度で流れていくもので、凝ったコメントを書いたとしてもほとんどだれにもみられることなく終わってしまうので、ほかの観客との一体感を感じたいかどうかで決めたらいいと思う。あまり間が空いていないことと、1回目をかなり真剣に見ていることから、ほとんどの内容を覚えていた。