[読了]森博嗣 ジャイロモノレール

これは、新書で書いてしまうのね、と思うくらいすごい内容だった。専門書にするには不足している部分もたくさんあるのだろうけど、とにかくすごい。まず、ジャイロモノレールに着手した過程がすごい。いろんなところにアンテナを張っているのだろうけど、工作仲間から伝え聞いたジャイロモノレールについて、ずっと頭の片隅で考え続け、まじめに調べたら論理的な破綻はない、と判断して実際の研究を始めるあたりぞくぞくする。Brennanも、特許をとるときに、論理的には整合性のある内容であり、かつ、コツとされる部分については明記しないで主要な部分は書けるのがすごい。何に感動したかって、特許には嘘を書いていないのに周りからはトリックだといわれるほどの技術であり、実際にそれを読んだら(技術的には進歩しているものの)再現できることに感動した。当時の技術ではかなり難しかっただろうし、資金も多かったであろう、とあったけど、それにしても同時代の人間や、それ以降100年間もトリックだといわれることを成し遂げていたって、かなりすごい。Brennanもすごいし、森博嗣もすごい。何だこの頭が悪そうな文章は。

イラストと文章をみて、なるほどねとは思うものの、試号機の写真を見ればイラストはだいぶ単純化したものであり、そこかしこに工夫がいりそうなことが見て取れる。ばねで不安定にする機構にしても、ばねの力が復元力を超えるようでは台無しだろうし、本体もそれなりの剛性がないと前後に配置したときにうまく相殺できなさそうだし。動画を見れば、音がそれなりにあるのでかなりの回転をしていることもわかる。音が出るのは無駄があるからだそうだけど、人が乗れるような大きさだと、そばにいるとかなり怖そう。重たそうなものが高速回転していたら、止まっているように見えるだろうけど、実は高速で回っているのだと知った瞬間にぞくっとするだろう。実際に運用するとなると、エネルギーの問題もあるのだろうけど、コマの軸部分の摩耗が結構激しそう。

こんなことがそこいらの人にできるのだろうか、と思うけど、時計職人の方など、すごい人が登場しており、感心してしまう。こんな超絶達人が近くにいたら自分の工作技術はそれほどでもないとか言ってしまうのもわからないではない。ただ、工作できる環境を持っていて、かつこのレベルで工作できる人は、上位1%(控えめ)に入っているだろう。上には上がいるのだろうけど。

最終的には、各個人がこういった研究テーマを持つのが文化的な成熟だ(ここまで言っていなかったかも)との話だけど、なかなかこのレベルは難しい。でもまあ、袋ラーメンのパッケージや新聞の号外など、個人で何かを収集し続けて、その変化を調べている人はそれなりに多いようだし、一部の文化は成熟しつつあるようにも思える。ただ、不可能だと思われていた技術は実は可能だった、とのレベルではほぼ無理だろう。個人がゼロ戦を作ったとか、100年前に使われていた絵の具を再現したとか、数百年前の技術で作った船で大陸間を移動したと聞いてもここまで感動はしない。たぶんできるだろう、と思うし、できる人も何人かいるだろうと思うからだ。何だったら同じくらい感動するだろうかとしばらく考えてみたものの、いい例は浮かばない。

読書以外の趣味は、研究レベルとは言えないし、同好の士を探してみるとはるかに上の技術を持つ人がいる。また、特に一緒に何かをしたいとは思わないし、褒められたくもないし、大して理解できないひとに馬鹿にされるのも面倒なので、SNSなどで公開もしていない(SNSをしていない)。もう少し広い場所が欲しいけれど、寝食を削ってまで欲しいものではない。一番の趣味は本を読むことだけど、ほかの趣味をもう少し、まじめに取り組んでもいいような気がした。そう思えたことも、とてもいい本だった。一気に読んだので誤解している点があるかもしれない。すごく丁寧に書いてあったので、飛ばさなければ理解できるはず。次はゆっくりと読もう。これから何回も読むとおもう。

  

 

 

巨大生物解剖図鑑

巨大生物解剖図鑑 (SPACE SHOWER BOOKs)

巨大生物解剖図鑑 (SPACE SHOWER BOOKs)

その動物に興味があったとしても、実際に内臓がどのようになっているのかとか筋肉がどのようになっているかとか、中身について知りたいと思う人はどれくらいいるだろうか。この本では、普段見ることがないであろう巨大動物を解剖した際の、写真や文章が記録されている。具体的には、クジラや象、大型のワニなどだ。内容の大元は、アメリカ(要確認)の番組で、解剖学者や動物学者などが大型動物を解剖し、機能を確認するとともに解説する番組だ。司会は、有名なキャスタのようで、それを文章に起こしたものを、さらに日本語に翻訳しているのがこの本だ。ほかの人の評価では、さすがモノを伝えるのが仕事のひとだ、と称賛されているが、文章があまり多いわけでもなく、特別文章が優れているとの印象はない。一応図鑑なので、ゆっくり読んでゆっくりと理解すればよいかと思う。文章量が少ないということは、よくまとまっていることの表れかもしれないが、情報が不足していてもわからないので何とも言い難い。いい意味でも悪い意味でも図鑑であり、内容の深さは、そこそこその動物に興味を持っていれば知っていることがほとんどだろうけど、図解されているのでわかりやすい。価格に見合う内容か、と言われると難しい。小学生のころ、この本が本棚にあれば喜んで読んだだろう。中学生でも、高校生でも、うーん、やっぱり今でも、ただそこにあれば喜んで読むか。人に勧めるかというと、相手がこういった内容を好むかどうか、よく知っている相手なら勧めるかもしれない。その人が一人目ならば、自分が買ったこの本をあげるかもしれない。写真は、もっときれいなものが撮れるはずだ。動画のキャプチャ画面のようで、近年のレベルとは言い難く、大きい版で出版した意味が減少している。そこははっきりとマイナス評価でもいいと思う。もともとはテレビ番組で、少し検索すればYouTubeで見ることができるものもあった。象のときの番組を見たけど、動画の方が印象は強い。最近のYou Tubeは字幕を出すことができるので、見るだけでも十分かもしれない。

本好きの下剋上 香月美夜

本が好きでたまらない主人公が異世界に生まれ変わるけど、その世界では本は貴重品であり、裕福ではない家に生まれた主人公に本を読む機会はほとんどない。ないならば作ろうではないか、という話。魔法がある世界で、主人公は多くの魔力を所有しているのだけど、それによる負荷や魔法でできることのバランスが良い。

生まれ変わりは実際にはあり得ないのだけど、あったらどうふるまうかを想像するのは面白いかもしれない。特殊な力が備わっていないとして、知識だけで何とかなるか想像するのだけれど、想像の中ですらうまくいかない。何も知らないし、できないものだ。本作の主人公は、本を無差別に読んでいる一方、母親の趣味に付き合って多くの手作業をこなしていた。あり得ないことではないけれど、この主人公がすさまじいのはそれらのほとんどをしっかりと理解して記憶していることだ。数回作っただけの石鹸を、材料の入手が困難な状況で作れるひとがどれだけいるだろうか。使われている材料や、その由来を把握し、原理を理解してようやく作ることができるのだ。原材料の作成にかかわる部分では、雰囲気で指定したことをかなえてくれる魔法もなければ、都合よく足りない知識を補充してくれる賢者もいない。その世界にあるもので、こちらの知識を生かして作るのだ。それがどれほどの困難であることか。

もともとウェブ小説であったこともあって、物語が駆け足で進むのではなく、少しずつ状況が変わっていく。巻が進むにつれ、少し話の展開が早くなっている部分は否めないけれど(商業的な理由だと思う)、それでも一気に世界が変わるようなことはない。登場人物も増え、名前が覚えられるか不安だったけれど、今のところ大丈夫だ。少し話を読み進めれば思い出せるのは、脇役も生き生きと描かれていて、少しずつ個性が示されているからだ。

うまいな、と思ったのは特許の無い世界で、使用権を魔法で縛れると決めてある点だ。いままで読んだ中では、自分の好きなものが広まればいい、とあまり特許権を意識していないものや、塩のように国家が専売にしてしまうものがあったけど、きっちり個人が回収する仕組みを見た記憶はない。前者は、文明の進んだ国から来た主人公が、後進に与えている感じがするときもある。娯楽小説の中でくらい、苦労せずにいい目を見たいと思う気分も否定はできない。スマートホンを持って行ったり、現実社会と行き来できるような作品は合わないので読まない(何作か途中まで読んだことはあるけど、もう読まないだろう)。あまり複雑な仕組みにせずに、知識を力と変えることができるのは仕組みとして面白い。魔法を使えるのが貴族のみであることを考えると、イメージとしては国家の専売に近いかもしれないけれど、個人が権利を持つ点は大きい。

基本的に、裕福でない側の登場人物の頭がいいというか、ほとんどが理性的だ。利を示せば、彼らの生活様式で不快とされることを受け入れることもやぶさかではない。理不尽な世界に憤る余裕がないだけかもしれないし、歯向かう性格の人間は、楯突いた時点で殺されてしまうのかもしれない。主人公は、その世界には無い知識を使って成り上がっているけれど、なかなかに階級の壁は厚い。この世界で商人として成功しても、裕福な平民であって、階級を超えてはいないように見える。階級を超えるためには、魔力が必要であり、魔力があっても、通常は大したものではなく、強い力があっても制御できなければ死んでしまう(制御するためには高価な器具が必要だから)。この仕組みもうまくできている。簡単に階級を超えられないようになっている。

主人公は、お金さえあれば成り上がる必要もないと考えているようだが、そううまくはいかない。これまでの成り上がりに、生きていくためにはそうせざるを得ない必然性が感じられる。上流階級では上流階級なりの苦労があり、簡単に乗り越えていない点もいい。第1巻の分のプロットを持って行っても、出版にはつながらなかったのではないだろうか。その時点で面白さを理解できる編集者はほとんどいないのではないかとおもう。面白さがわかるまで時間がかかるような作品を拾い上げている点は「小説家になろう」の功績だ。どのあたりまで描くつもりなのかはわからないけれど、大人になった主人公(ちなみに結婚する相手として予想しているのは何でもできる彼だ。しばし眠りにつきそうな気がする)が書籍の母と呼ばれるようになった(知恵の神は行き過ぎか)、ぐらいまで書いてくれることを期待する。

 多崎礼 血と霧

血と霧 1 (ハヤカワ文庫JA)

血と霧 1 (ハヤカワ文庫JA)

血と霧 2 無名の英雄 (ハヤカワ文庫JA)

血と霧 2 無名の英雄 (ハヤカワ文庫JA)

物語の舞台は血が力を持つ世界で、その強さによる身分制度が存在する。ここの性質により得意とする分野は異なるが、頂点である王女の力は圧倒的だ。まれに、血の力が強くない同士の組み合わせから、強力な力を持つ子が生まれることがあり、主人公はその一人だ。細かいことを書きすぎると興をそがれると思うので、あらすじは世界の設定のみとしておこう。
多崎礼の作品は3〜4巻で完結することが多く、1巻と2巻という表記だったのでこの後も続くのだろうと思って、購入はしたものの積読となっていた。なんとなく検索しているうち、どうやら2巻で終わりの様だということがわかり、読み始めた。著者のブログを見ると、売れ行きによっては続きがあるそうなので、期待しておこう。
今は、というかこれまで経済的に豊かであった時期はあまりないのだけど、生きるか死ぬか、という生活をしたこともない。この先、生きるために汚いことをしなければいけなくなった場合、どこまでのことをするだろうか。今は、他者を害してまで生きようとする力は残っていないのではないかと考えている。そこまでして生きて、どうしたいという先がないからかもしれない。他者を害することは、想像力が欠如しているからだと考えるのだけど、想像力に支配されて、何も行動できなくなることも良いとは思わない。勝手に相手の気持ちを想像して、結局何もしないことも多い。今でもそうだ。それでも、得られた情報から想像するし、何も想像しない自分は、それこそ考えられないし、自らの生き方だと考えるしかない。自分に無い環境や、ない感情をどこまで想像できているかを確認することは難しい。抽象的な話になっているけれど、いろいろと想像することは大事だし、時折想像と現実の差を補正するためにも行動することが必要だとおもう。
主人公は、頑丈な体を持っていることもあるのだろうけど、他者のために傷つくことを恐れない。自分に向けて、度が過ぎた献身を向けられると、ちょっと怖いのだけど、今まで放っておかれた人が、こういった優しさを向けられると、その人に傾倒してしまうかもしれない。残念なことに心の壁はかなり厚めに作られているので、この先そう思うことはないと予想している。主人公以外にも、登場人物たちはとても格好いい人が多い。特に、マティルダは、さっぱりした性格で実力も伴っており、とても好ましい。湿度が高い性格をしていると自覚しているので、からっとした彼女はとても好ましい。
何か幸せなことがあればそれまでの不幸が帳消しになるのか、何か不幸があればそれまでの幸せが帳消しになるのかはわからない。登場人物たちは、悔いはあるのかもしれないけど、達成感もあっただろう。他者とのかかわりが少ないし、何も成し遂げてはいない人生なのだけど、いつかそういう機会があれば、思い切って行動することができるだろうか。正直自信はないけど、この本を読んだことで、ほんの少しでも、行動するための勇気が蓄積されたのではないかとおもう。

米澤穂信 いまさら翼といわれても

いまさら翼といわれても

いまさら翼といわれても

連作短編としては文句のつけようがない面白さだった。何作か、問題が解決した時点で終わるスタイルだったのが印象深い。次回以降の作品で、その後何があったのかを匂わせるのだろう。奉太郎の洞察力がすごいけど、よく考えればほかの可能性だって考えられたのではないか、という気がしないでもない。脳内映像はアニメの画像と音声だった。一度映像化された作品を見てしまうとよくあることで、今後新作アニメが作られたとしても、それを見たのか想像したのかわからなくなっているだろう。
奉太郎がやらなくていいことはやらない、やらなければいけないことは手短に、と考える(主張する)ようになったきっかけが面白い。これは意外とよくある話なのかもしれない。内容を書いてしまうと面白くないけど、書かずに説明するのも難しいので、ここでは書かないでおこう。奉太郎も大概だけど、お姉さんの洞察力はさらにすごい、というより何かを超越している感が否めない。ちょっとこわい。奉太郎ほど能力があるわけではなく、性格も全然違うけど、彼の気持ちはわからないではない。信条としては「人が楽しそうにしていることは、少なくとも一度は挑戦する、体質的にできないことには手を出さない」を挙げている(まわりには特に言っていない)。よほど不可能でなければ試してみるけど、一人ではできないことは手を出さないので、座右の銘とまではいかない。信条ともいえないか。行動指針、ぐらいかな。何であれ、自分の中でルールを決めてしまうと、生きやすい気がする。こういうのはある種の発達障害といわれそうだけど、何でもかんでも疾患にしてしまう風潮は好きではない。個人の性質ではだめなのだろうか。
タイトルにもなった「いまさら翼といわれても」では、えるの意外な一面が見える。何か制限されることで、逆に広がりを持つことはよくあることだ。何度か書いているけれど、バレエでは、動きが限られるからこそ表現の幅が広がるという。えるの自由さや芯の強さをもたらしていたものを考えると、それが変化することで、失われるものがあるのかもしれない。えるを制限していたものの重さは正直想像できていないだろうし、感じることもできない。年よりは若さに幻想を持ってしまいがちなことは、重々理解しているのだけど、(集団の傾向として)若者の柔軟性は老人とは比べ物にならないだろうし、まだまだ変わることができるのではないだろうか。彼らはまだ高校2年生で、卒業までは書いてくれるとどこかで見たような記憶がある。古典部がどうなるのか、彼らの進路はどうなるのか、見届けたい。

船を編む(アニメ)

舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

読んでいて面白い作品だったけど、アニメにして面白いのだろうか、と少しの不安と、何か新しい一面が見られるだろうか、と少し期待しながら視聴した。悪くはないけど、期待していたよりも情報量が少なかった。本で感じた面白さの多くは失われていたようにおもう。映像作品を見たことで得られたのは、文字がぐるぐるするところと、キャラクタの顔と声がはっきりしたところだ。もう一度読み返せば、この顔と声でイメージするだろう。でも、それは、自分がイメージしていた顔と声が、この作品の顔と声に入れ替わっただけで、な気もする。三浦しをんの面白さとして、本人が当たり前だと思うことが少しだけ周りとずれている、というのがあると思っているのだけど、それはアニメでは描きにくい表現なのかもしれない。

あの家に暮らす四人の女 三浦しをん

あの家に暮らす四人の女

あの家に暮らす四人の女

谷崎潤一郎メモリアル特別小説として刊行されたようなのだけど、谷崎潤一郎の作品を読んでいないのでそのあたりには触れない。三浦しをんらしい文体で、若干のさみしさを持つひとが、周りからは飄々と日々を過ごしているように見えていても、実際には煩悶しながら生きているている様子が描かれている。この作品では、大きな持ち家があるけど、収入減がなくてあまり裕福ではない母子と、縁あって同居する二人の女性が登場する。子供を持つとなると結婚したほうがシステム的に得なのだろうとは思うけど、子供を持たない人生を歩むと決めてからは、他人と生活する煩わしさに耐えられないだろうとおもっている。ひとりでいることをさみしいとおもうことは、ほとんどない。かつて好きだった人のことをおもいだすとき、その人と生活していたらどうなっていただろうかとほんのり考えることはあっても、さみしくてどうにかなりそうな気分になることはない。誰と生活していたとしても、たぶんうまくいっていないだろう。どちらかが、あるいはどちらも無理をすれば、乗り切ることはできるかもしれないけど、一人でいることの気楽さに勝ることはないような気がする。誰からも求められなかったことが少しさみしい気もするけど、一緒にいたいと思った人はこれまでの人生でわずかしかいなかったので、需要と供給は結構合わないものなのだと感じる。世の中の人たちは結構すごいことをしているのだ。
登場人物の中に、比較的近い考えのひとがいた。でも、そのひとは、強くないつながりの中で誰かと生活することに、何らかの意味を見出した。いじわるな言い方をすれば、のんびりした性格の人に間借りをしているのでそんな考えに至れるのではないだろうか。のんびりと生きられる環境なら、ひとはあまりいがみ合うことがなく一緒に生活することができるのかもしれない。度が過ぎた個人主義とはおもわないし、他者に気を使うのがものすごくいやなわけではないけど、それが一日中となるといやかもしれない。たぶんこのままひとりで死ぬだろう。どのタイミングで(腐敗が広がらないように)ブルーシートを敷けばいいのだろう、などと考えるときもある。まだ、そこまで老化しているわけではないので十分考えることもできる(できているはず)で、物を運ぶこともできるけど、自分の老化は気が付きにくいというし、タイミングを損ねてはいけないとおもう。ちゃんとした死生観があるわけではないけれど、あまり死が怖くないのは、死に至る道がぼんやりとでも見えているからかもしれない。もしかしたら誰かに襲撃されて死ぬかもしれないけど、それを恐れていてはおちおち出歩くこともできないし、基本的には部屋でおとなしくしているので事故にあう可能性は他人より低いのではないだろうか。大きな病気をするかもしれないけど、それもある程度は想像の範囲内にある。時期が前後するのはしかたがない。登場人物も少し触れていたのだけど、逆縁の不孝だけは避けたいところだ。親世代は元気な人が多いので、自分よりも長生きしそうな印象は否めないけれど、せめて親の死くらいは看取ってから死にたいものだ。生きている間は楽しく過ごしたいと思うものの、執着するものがない。現実の人間関係は、以前から予定していた通り、少しずつ疎遠になっていて、仕事以外で親しいと言えるひとはかなりすくない。そのひとたちとも、頻繁に連絡を取っているわけではないので、いずれ連絡もなくなるだろう。一人で生きることはできないけど、人と多くかかわらない生き方は可能だ。それをさみしいとかつまらないとか思うひとは一生懸命交流を持てばいいけど、つまらない人生だなと人に言う(押し付ける)必要はないし、そう言うような人とは交流しなくても良い。あなたのためを思って、という人もいるかもしれないけれど、暑そうだからと言ってアリの巣に水を流し込むのはアリのことをおもった行動ではなく、想像力が足りない人が、自己満足のために行っているだけだ。
本を読みなれている人は、途中であることに引っかかるかもしれない。そのひっかかりは、途中で解消されるので、読み進めてほしい。なかなか楽しくて、少し声に出して笑ってしまった。
三浦しをんの作品で、登場人物はよく話し合う。もちろん言葉が足りない人もいるけど、基本的には、話すことでわかりあいたい、との願いがあるのではないかと思う。完全に理解することはできない。自分自身にだって、完全には理解できていないのだから、そもそも確認する方法がないのだ。それでも、言葉を積み重ね、相手のことを知ろうとする、自分のことを伝えようとする姿が好きだ。あまり、他人に理解されようとして話すことはないかもしれない。多く話すことが、これまで徒労であったことが多いのだろうか。以前はよく話すタイプだったような気もする。いろいろあきらめてしまったのかも知れない。期待をしない生き方は、楽ではあるけれど、本などでそういう世界があることを感じると、若干味気ないようにも思える。それでもたぶん、大きく生き方が変わることはないだろう。静かに本を読み、ときどき感想を書く。そういった人生がこれからも続くだろうし、体力のある限り続けばいいと願う。

三浦しをんつながりでアニメの感想も少し書く。