本好きの下剋上 香月美夜

本が好きでたまらない主人公が異世界に生まれ変わるけど、その世界では本は貴重品であり、裕福ではない家に生まれた主人公に本を読む機会はほとんどない。ないならば作ろうではないか、という話。魔法がある世界で、主人公は多くの魔力を所有しているのだけど、それによる負荷や魔法でできることのバランスが良い。

生まれ変わりは実際にはあり得ないのだけど、あったらどうふるまうかを想像するのは面白いかもしれない。特殊な力が備わっていないとして、知識だけで何とかなるか想像するのだけれど、想像の中ですらうまくいかない。何も知らないし、できないものだ。本作の主人公は、本を無差別に読んでいる一方、母親の趣味に付き合って多くの手作業をこなしていた。あり得ないことではないけれど、この主人公がすさまじいのはそれらのほとんどをしっかりと理解して記憶していることだ。数回作っただけの石鹸を、材料の入手が困難な状況で作れるひとがどれだけいるだろうか。使われている材料や、その由来を把握し、原理を理解してようやく作ることができるのだ。原材料の作成にかかわる部分では、雰囲気で指定したことをかなえてくれる魔法もなければ、都合よく足りない知識を補充してくれる賢者もいない。その世界にあるもので、こちらの知識を生かして作るのだ。それがどれほどの困難であることか。

もともとウェブ小説であったこともあって、物語が駆け足で進むのではなく、少しずつ状況が変わっていく。巻が進むにつれ、少し話の展開が早くなっている部分は否めないけれど(商業的な理由だと思う)、それでも一気に世界が変わるようなことはない。登場人物も増え、名前が覚えられるか不安だったけれど、今のところ大丈夫だ。少し話を読み進めれば思い出せるのは、脇役も生き生きと描かれていて、少しずつ個性が示されているからだ。

うまいな、と思ったのは特許の無い世界で、使用権を魔法で縛れると決めてある点だ。いままで読んだ中では、自分の好きなものが広まればいい、とあまり特許権を意識していないものや、塩のように国家が専売にしてしまうものがあったけど、きっちり個人が回収する仕組みを見た記憶はない。前者は、文明の進んだ国から来た主人公が、後進に与えている感じがするときもある。娯楽小説の中でくらい、苦労せずにいい目を見たいと思う気分も否定はできない。スマートホンを持って行ったり、現実社会と行き来できるような作品は合わないので読まない(何作か途中まで読んだことはあるけど、もう読まないだろう)。あまり複雑な仕組みにせずに、知識を力と変えることができるのは仕組みとして面白い。魔法を使えるのが貴族のみであることを考えると、イメージとしては国家の専売に近いかもしれないけれど、個人が権利を持つ点は大きい。

基本的に、裕福でない側の登場人物の頭がいいというか、ほとんどが理性的だ。利を示せば、彼らの生活様式で不快とされることを受け入れることもやぶさかではない。理不尽な世界に憤る余裕がないだけかもしれないし、歯向かう性格の人間は、楯突いた時点で殺されてしまうのかもしれない。主人公は、その世界には無い知識を使って成り上がっているけれど、なかなかに階級の壁は厚い。この世界で商人として成功しても、裕福な平民であって、階級を超えてはいないように見える。階級を超えるためには、魔力が必要であり、魔力があっても、通常は大したものではなく、強い力があっても制御できなければ死んでしまう(制御するためには高価な器具が必要だから)。この仕組みもうまくできている。簡単に階級を超えられないようになっている。

主人公は、お金さえあれば成り上がる必要もないと考えているようだが、そううまくはいかない。これまでの成り上がりに、生きていくためにはそうせざるを得ない必然性が感じられる。上流階級では上流階級なりの苦労があり、簡単に乗り越えていない点もいい。第1巻の分のプロットを持って行っても、出版にはつながらなかったのではないだろうか。その時点で面白さを理解できる編集者はほとんどいないのではないかとおもう。面白さがわかるまで時間がかかるような作品を拾い上げている点は「小説家になろう」の功績だ。どのあたりまで描くつもりなのかはわからないけれど、大人になった主人公(ちなみに結婚する相手として予想しているのは何でもできる彼だ。しばし眠りにつきそうな気がする)が書籍の母と呼ばれるようになった(知恵の神は行き過ぎか)、ぐらいまで書いてくれることを期待する。