養老孟司 骸骨考

 

国ごとの死生観というか、肉体や死体に対する考え方について、養老さんが納骨堂などをめぐりながら考えたもの。やはり相当頭のよい方で、これだけの知識が詰まっているからこそ考えられるものがあるのだろう。今、若者はあまり物事を覚えようとしていないのだろうか。特に若者と接する機会がないのだけど、壮年ぐらいまでのひとで、この人の知識はどれだけあるのだろう、と感嘆するような人を知らない。荒俣宏さんなどはかなりすごいらしいけど、数字でも歴史でも、博覧強記で、すぐに思い出せたり思いがけないところのつながりを考察したりしているひとは、高齢の方に多いような気がする。若いころの栄養状態はそれほど良かったわけでもないだろうに、と感嘆する。

本作は、これまでの著作を踏まえていないと理解できないのかな、と思われる部分がいくつもあった。同じことを書くのも仕方がない、と思うのか、同じことで時数を稼いでいると思われたくないのか、これはもう書いた、と述べていることが散見される。同じことを違った角度から話すことが多いだろうし、本当に同じ話をしていることも多いのだろう。まあ、だいぶ抽象化されているので、各自が受け止めればいいのではないだろうか。そういう意味で、購入の参考になるような感想が書きづらい本だとおもう。

90歳を超える患者が、入院中のベッドで死にたくないと連呼しているとの話があった。その状況で生き続けて何ができるのか、ということではなく、ただ死ぬのが怖いのではないだろうか。全力で生きてきたら、いざ死ぬとなった時に後悔がないかというとそんなことはなくて、どのような生き方をしていたとしても、死にそうになればそれなりに恐ろしくなるのだろう。今予想する範囲では、苦痛がなければ死ぬといっても眠った後に目が覚めないだけと想像しており、さほど死ぬこと自体に対する恐怖はない。ただ、死に直面すれば、肉体的なもの、感覚や思考が失われることが怖くなると予想もできる。いま、90歳の自分が死に至る状況を想像しても、実際とは大きく異なるだろう。異ならないとしたら、その自分を目指して日々を過ごしたからだ(たぶん)。

独り身が長く、おそらく一人で死ぬだろうと本人もまわりも思っているので、ときどき、一人で死んでもいいの?と聞かれるけれど、大切な人(がいたら)を残して死ぬのもつらいだろうし、先立たれたら結局一人で死ぬのではないだろうか。