松岡圭佑 万能鑑定士Qの事件簿

この人の作品はとても読みやすく、エンタテインメント作品としてはかなり優れているとおもう。あまりにもするすると読み進めてしまうので、ハードカバだともったいないと感じてしまうくらいだったのだけど、最近は文庫で出してくれるのがありがたい。それにしても、一旦書き出すとすごい刊行ペースだ。すこしずつ読みたい気持ちと、もっと読みたい気持ちがせめぎあう。
さて、主人公はこうこうせいまでは成績がオール1という、天然ぼけな部分を見せる少女でした。社会に出てから記憶術を身に着けた彼女は、博覧強記となる。途中で記憶する量を何気なく提示していて、具体性があるではないかと思わせるのだけれど、初期を過ぎると、もう忘れないことが前提になってきている。それとも、要領を得たのでどんどん記憶できるようになったのだろうか。
それはともかくとして、主人公が天然かつ博覧強記、更には知識の応用もできて、見た目はモデルのようだけど世間ずれしておらず、純真であるという奇跡のようなキャラクタ。実際にこういう人が近くにいたら、どこか我慢しているのではと穿ってしまうけれど、物語を進める上ではこれぐらいがちょうどいいのかもしれない。今のところ7巻まで読んだけど、嵯峨せんせ、共演と言う割にはあまり活躍できていないかも。それにしても、タイムリィな話題が出る割には年をとらない嵯峨せんせ(どうしても稲垣吾郎でイメージしてしまうキャラクタ)なのでした。
物語は単純といえば単純で、詐欺師やらなんやらが偽者をつかませようと策略を練るけれど、万能鑑定士Qが見抜いてしまう、といった構造だ。なんとなく美味しんぼパターンなのだけど、良く(著者が)そんなこと知っているなあと感心してしまう。実際そこまで頭が回るひとってそうそういない。
世の中には荒俣せんせのような博覧強記の人が実在する。最近だと、記憶は外部媒体に任せて当人は別の部分にリソースを遣えばいい、との考えもあるだろうけど、それらの知識をつなげることは、まだ人間にしかできない。外部に知識があったとしてもただの点であり、一時的に線でつながれるに過ぎないから、広げることは難しい。今でも、思い出せなくても調べれば十分なことはたくさんあるだろうけど、できるだけたくさん憶えておいたほうがいいのではないかとおもう。少なくとも、憶えようとしたことで脳のどこかにしまわれて、あるとき発想の飛躍に繋がったり、違う物事を解決する糸口になるのではないかと期待している。
しかし、人の記憶は曖昧なもので、誰かの記憶と自分の記憶が大きくずれていることも珍しくはない。以前にも書いたかもしれないけど、幼いころ、学生のころそれぞれに、異なる記憶の人がいる。多数決で決めるものでもなし、記録ではなく記憶なのだからごく個人的に好きなように収めておけばよいと思う一方で、この人は都合のいい解釈をしているなと感じることもある。若干イラつくときがあるけれど、それはきっとお互い様と言うか、こちらの記憶(違い)が誰かの感情を逆なでしていることもあるのだろう。
何かを憶えるのは大変だけど、憶え続けるのはもっと大変だし、忘れることも大変だ。忘れるためにはそのことについて考えないようにしなければいけないけれど、忘れたいことなんて大抵その人にとっては衝撃の大きな話で、ちょくちょく考えてしまったり、映像や動画を見てしまったりするから、なかなか忘れることは難しい。しかし、どうも、忘れっぽい性質のようで、学生のころのことも、高校生までのことなんてほとんど憶えていない。何かを言われたり、見たりしたら思い出すかもしれないけれど。あと、イベントはどんなものだったかは憶えているけど、人とのかかわりはあまり憶えていない。たぶん、あまりかかわりがなかったのだろう。
この作品はあまり人が死なないミステリを目指しているのか、帯にいくつかそういった言葉が書いてあった。それはまあ、いいことでも悪いことでもなくて、作者が目指すものでしかない。人が死んでも良いというのではなくて、物語をどのように創作するかは創作者が決めればよいということ。人が死なないということは、暴力ではなく、知識で他者を圧倒できるということだ。それがまかり通る世界は、比較的平和だ。何か薀蓄を述べたからと言って、うるさい、と暴力で一閃されたらどうしようもない。現実にも、ただのヤンキーというかチンピラを言い負かすことができる人はたくさんいるだろうけど、理不尽な(当然あちらはそう考えてはいないだろうけど)暴力に会いたくないので何も言わない人が多い。彼らは、論理的ではないかもしれないけど、暴力の効果を良くわかっている。これだけではないけれど、作中の世界は平和っぽい。こんな世界に生きていたいなとおもう。
作者の松岡さんは、面白い作品を書く人だし、素敵な世界を創るひとなのだけど、あまり物語を閉じるのが上手ではない印象もある。千里眼にしても、この万能鑑定家シリーズにしても、各巻が「長めの章」であり、作品が終わっていない印象なのだ。他の作品にしても、もしかしてまだ続くんじゃあないの、と感じながら終わることが多い。みっきぃまうすぐらいかな、ちゃんと終わったように感じたのは。ちょっと強引でもいいから、長編を終わらせて欲しいかもしれない。