ドナ・W・クロス 阪田由美子=訳 女教皇ヨハンナ

女教皇ヨハンナ (上)女教皇ヨハンナ (下)



 ドイツの小さな村でキリスト教の参事会員の娘として生を受けたヨハンナ。知的好奇心が旺盛なヨハンナだが9世紀の西欧は男尊女卑の時代で、学問など望むべくもない。優秀な長男と凡庸な次男に次いで生まれたヨハンナは長男から読み書きの手ほどきを受け、その知的好奇心は更に刺激される。実の父親が女を人と思わない扱いのため、家庭内でも迫害を受けることが大きかったヨハンナ。彼女はそれでも知識を得ることをあきらめない。ひそかに才能を育むヨハンナに、教育を受ける機会が訪れる。
 歴史物は結構好みの分野で、これまで読んだ数は少ないものの、藤本ひとみさんや佐藤賢一さんの作品が好きです。浅田次郎さんの蒼穹の昴はこれまで読んだ歴史物でベスト3に入るほど好きです。
 この作品は実際の歴史では存在が認められていない女性の教皇、ヨハンナが主人公です。情報が少なかった時代、知識は貴重であり、知識を得ることが出来る人物も限られていました。今は情報が溢れており、一つ一つの知識に対する感慨が減少しているかもしれません。ヨハンナは貴重な蝋を盗み出してまでも夜中にこっそりと蝋燭を灯し、たった一冊の本を食い入るように読み込みます。もちろん、レベルは違いますが、昔は同じような感覚でした。小中学生の頃はお小遣いも少なく、一冊の本を何度も読み返したものです。今は、たくさんの本を読むことができるようになりました。でも、一冊一冊に対する意気込みと言うか、掛ける思いが減少したのではないかと、この本を読んで思いました。
 以下、内容に触れるため隠します。
 周りの人間を思いやり、敬意を持って接するうちに地位が上昇していくのは、ジャンヌダルクも同じかもしれません。ジャンヌダルクが神がかった、ある種の狂気のようなものに引きずられて前進しているのとは対照的に、あくまで論理的に物事を解釈しようとします。神に仕えるものとしての是非については判りませんが、周りの常識に捉われることなく自分の考えを持つことはとても難しいことなのではないでしょうか。微生物や感染の概念がないとき、同じ容器を使わないように勧めるなんて、そう簡単には出来ないと思います。
 物語はミステリではなく、謎が提示されているわけでもありません。それでも、終盤で想い人を助けるため、論理的に相手を追及していく場面では身震いしてしまいました。論理的な思考が一般的ではないこの時代に論理的な思考を身につけ、行使することがどれほど大変なことなのか。それは想像することしか出来ませんが、感動しました。
 フィクションなのかノンフィクションなのかジャンル分けが難しい作品です。著者は実際に会ったことに想像を加えて書いたとあとがきにありました。民俗学のようなものでしょうか。でも、読者としてこの作品に触れた感想としては、フィクションなのではないかと思うのです。だから、ラストはもっと救いのある終わりにして欲しかった。内容はとても面白く、感動できる作品だったため、贅沢な要望なのかもしれません。