
- 作者: 知念実希人
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/03/27
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
5冊目(とスピンオフ2冊)まで読んだ限りでは、天久鷹央は、魅力的な女性というよりも子供のまま大きくなった女性だ。他人の気持ちを慮ることができない、とあるが、実際には、想像はできるけど(自分ならなんとも思わないので)つい配慮しない、とか、共感することが少ない、という話だろう。厳密な意味で他人の気持ちがわかる人はいないけど、他人のつらさやうれしさを想像して、自分だったらこうしてほしいと思うことをすることが、社会を成立させている(様な気がする)ので、同じような傾向を持つ人は、天久鷹央のように卓越した能力がないと生きづらいだろう。主人公の美醜については触れていないような気がするけど、イラストはかわいらしい女性だし、姉は美しいと評されているので、きっと本人もかわいらしいのだろう。美醜は措いておくとして、中学生に見間違える27歳というのは実在するのだろうか。もちろん間違える人はいるのだろうけど、大勢の主観としてそう感じるような見た目の女性が存在するのだろうか(外国人から見た外見ではなく)。高校生に見える30歳はいるかもしれない。化粧をしなかったら基本的には幼く見えるからだ。知り合いにも、長い間高校生のようにみられていた人がいるけど、さすがに中学生には見えなかった。今は、あまり子供を見ることがないのでわからない部分はあるけど、それにしても27歳を中学生とみることはないのでは、とおもう。なぜ長々とこういったことを書いたかというと、若くして有能であるならば、特に見た目は20代前半でも後半でも構わないとおもうのだけど、なぜ子供に見まがう外見に設定したのだろうか、と疑問を感じたからだ。子供に命令される大人、との状況にしたかったのだろうか。年相応に見えれば、ただ単に礼儀を身に着けていない大人だとみなされるからだろうか。天久鷹央は幼く見えることから、年長者に侮られることが多い。優れた若者に対して、我々はきちんと礼儀を示すことができているだろうかと考えてしまう。明らかに今の自分より優れているのに、足りない部分を探して優れた部分を打ち消そうとはしていないだろうか。若くてすぐれた子は、今の職場にも時々やってくる。それなりにきちんと接しているつもりではあるけれど、これは同じ大人として対応しているからだ。中学生が見学に来て、的確な意見を言ったとして、まだ社会のことがよくわかっていないんだね、といった対応をしないで真摯に受け止められるだろうか。鷹央を侮る悪役の言動は、もしかしたらあり得る自分の姿かもしれない。と、常にそんなことを考えながら読んでいるわけではないけれど、読み終わるごとに少し振り返ってそう思う。
物語を閉じるつもりがあるのかないのかはわからないけど、最終話は「天久鷹央最後の事件」を解決し、数年後の描写があって終わり、となりそうなイメージがある。ただ、まだ強大な敵が出てきていないので、最後の事件がどんなふうになるかは予想できない。強大な敵は、未知なる疾患の様な気もする。その疾患はTakao’s syndromeと名付けられた、終わり、というのもあるかもしれない。