知念実希人 天久鷹央の推理カルテ

天久鷹央の推理カルテ(新潮文庫)

天久鷹央の推理カルテ(新潮文庫)

天才には、処理が早いものと発想が優れているものがいる。小説など創作では前者について書きやすい。それは、著者が時間をかけて考えたことでも一瞬で考えたようにできるからだ。発想に関しては、天才だと表現されていても二番煎じのように感じることも多い。まったくの新しい発想は、SFに近いものがあり、我々凡人には即座に理解できないからだ。天久鷹央は27歳の診断医で、膨大な知識を所有し、検査結果を見るだけで適切な診断をする。どこかで読んだことがあるような作品だけど、具体的になにかあるのか、と言われると思い浮かばないので意外となかったジャンルなのかもしれない。病気は病名が明らかになることで治療が一気に進む。おそらく原因はわからないけど、症状のみがあるということも多いはず。めったにない病気だと、そう診断されたとしても、事実がわかるのは先になる可能性もある。本作品は、極端に希少な疾患はあまり出てきていない。素人目にもこれはないだろう、というものがないので、バランス感覚が優れているのだとおもう。診断の一例を小説風に示した、と言われたらそうかな、とおもうだろうし、覚えていたら、似た症状に出会ったときにこんな可能性があるかも、と思いだすかもしれない。膨大な知識に裏付けされる診断のすごさは、おそらく多くの人に伝わらない。その人に診断されなければいつまでたっても治療が始まらないのだから、その重要性はかなりのものだと思うのだけど、あっさり診断してもらった場合、価値がわかりづらい。今後は、検査結果だけでなく行動や症状を観察することもできるようになり、AIが初期診断を担うようになるだろうから、診断能力のすごさが特殊技能となる最後(の方)の作品となるかもしれない。
5冊目(とスピンオフ2冊)まで読んだ限りでは、天久鷹央は、魅力的な女性というよりも子供のまま大きくなった女性だ。他人の気持ちを慮ることができない、とあるが、実際には、想像はできるけど(自分ならなんとも思わないので)つい配慮しない、とか、共感することが少ない、という話だろう。厳密な意味で他人の気持ちがわかる人はいないけど、他人のつらさやうれしさを想像して、自分だったらこうしてほしいと思うことをすることが、社会を成立させている(様な気がする)ので、同じような傾向を持つ人は、天久鷹央のように卓越した能力がないと生きづらいだろう。主人公の美醜については触れていないような気がするけど、イラストはかわいらしい女性だし、姉は美しいと評されているので、きっと本人もかわいらしいのだろう。美醜は措いておくとして、中学生に見間違える27歳というのは実在するのだろうか。もちろん間違える人はいるのだろうけど、大勢の主観としてそう感じるような見た目の女性が存在するのだろうか(外国人から見た外見ではなく)。高校生に見える30歳はいるかもしれない。化粧をしなかったら基本的には幼く見えるからだ。知り合いにも、長い間高校生のようにみられていた人がいるけど、さすがに中学生には見えなかった。今は、あまり子供を見ることがないのでわからない部分はあるけど、それにしても27歳を中学生とみることはないのでは、とおもう。なぜ長々とこういったことを書いたかというと、若くして有能であるならば、特に見た目は20代前半でも後半でも構わないとおもうのだけど、なぜ子供に見まがう外見に設定したのだろうか、と疑問を感じたからだ。子供に命令される大人、との状況にしたかったのだろうか。年相応に見えれば、ただ単に礼儀を身に着けていない大人だとみなされるからだろうか。天久鷹央は幼く見えることから、年長者に侮られることが多い。優れた若者に対して、我々はきちんと礼儀を示すことができているだろうかと考えてしまう。明らかに今の自分より優れているのに、足りない部分を探して優れた部分を打ち消そうとはしていないだろうか。若くてすぐれた子は、今の職場にも時々やってくる。それなりにきちんと接しているつもりではあるけれど、これは同じ大人として対応しているからだ。中学生が見学に来て、的確な意見を言ったとして、まだ社会のことがよくわかっていないんだね、といった対応をしないで真摯に受け止められるだろうか。鷹央を侮る悪役の言動は、もしかしたらあり得る自分の姿かもしれない。と、常にそんなことを考えながら読んでいるわけではないけれど、読み終わるごとに少し振り返ってそう思う。
物語を閉じるつもりがあるのかないのかはわからないけど、最終話は「天久鷹央最後の事件」を解決し、数年後の描写があって終わり、となりそうなイメージがある。ただ、まだ強大な敵が出てきていないので、最後の事件がどんなふうになるかは予想できない。強大な敵は、未知なる疾患の様な気もする。その疾患はTakao’s syndromeと名付けられた、終わり、というのもあるかもしれない。