古宮九時 Unnamed memory 1巻

 

以前から読んでみたいと思っていたのだけど、ちょっと値段が高めなので何かのキャンペーンで安くなったときに買おうと思っていた作品。何かのキャンペーンで買っても読んでいない本はすでに何冊もあるのだけれど……。それはさておき、キンドルアンリミテッドで無料だったので読んでみた。感想を書くタイミングと公開するタイミングは必ずしも一致しないので、これを読んだ人が見に行ってもアンリミテッドではないかもしれない。ほしい本のリストに入れている本がアンリミテッドで読めるようになったら通知が来るようにならないかしら、と少し思う。最近は読み返すことも少ないので、アンリミテッドで読みたい本が3-4冊あれば、期間を区切って加入しても良いかなとはおもう。

会話のテンポが良く、場面も想像しやすい文章で、イラストによる補助もあって、とても読みやすい作品だった。ヒロインの声は堀江由衣で想像しつつ、楽しく読めた。見た目も良くて事務処理もできて強い、という非の打ち所がない主人公だけど、子孫を残せない呪いがかけられている。ヒロインはと言うと、美しく、最高の攻撃力を所持しており、魔法の知識も尋常ではない。死ねない呪いはかかっていなそうなので、不老だけれど不死ではない、という感じ。圧倒的な力を持ちつつ大きな制限があることを好意的に取る人と否定的に取る人がいる。前者は、多少の制限があっても意のままに生きたいタイプで、後者は、できないことはあっても制限されたくないタイプだ。どちらも結局は同じような気がするのだけど、現実的には大きな力を持つ人はごく限られているし、何かを乗り越えること自体も面白いことではあるので、後者の方が多いのかな、と感じる。

人に限らず、命を意識するとき、集団でとらえると重さを感じにくい。大切に飼っている鳥が死んだら悲しいけれど、似た鳥が焼き鳥になっていると知ってもそれほど悲しくはないだろ(たぶん)。こういう大きな力を持つ主人公(もしくは敵)が登場する作品では、人の命が数千、数万単位で失われたとしても、数行で片付けられてしまうことがある。どこか遠くの出来事で実感がないとか、身近な人がその中に含まれているとはあまり想像しないとかだろうか。

この感想を書いている現在、新型コロナウイルスの感染状況は、オミクロン株が登場したことで悪化したものの、人々の意識は、だいぶ感染してもいいのでは、という方向になっている。デルタ株に比べて重症化率が低いとの報道があったからだ。少し話は違うけど、大勢が感染したとき、自分が重症化しないと考えるのはなぜなのだろう。災厄はもう身近になりつつあるのに、どこか遠くの出来事ととらえているのだろうか。これまで、自分が重症化したとき、甘く見ていたことを後悔する、とのコメントを残す患者がいた。報道で取り上げられるのはそういう人ばかりで、多くは、感染してもやむを得ないと考えているのだろうか。そうは思えなくて、多くは感染し、重症化したことを後悔しているのでは。大人はそれでもかまわないけど、ワクチンを接種できない子供たちへの感染は極力避けてほしいところだ。症状に差があり、一見病気には見えないレベルで機能が低下する、低下し続けることがあるかもしれない。そうなると、周りからはただ怠けているように見えるだろうし、治療もされない可能性がある。子供たちにそんな思いをして欲しくはないものだ。希望があるとすれば、子供はほとんど重症化しないとのことなので、後遺症が出る可能性も低いかもしれない点だ。

もうすぐ、ワクチンを打ったら好きなように行動しよう、との流れになるのでは、と予想する。僕はもともと引きこもりがちなので、これからもそんなに出歩くことはないだろう。本の感想にこういうことを絡めるのは(読む側としても)あまり好ましくないのだけれど、しばらくは生活と新型コロナウイルスを切り離して考えるのは難しそうだ。

 

 

 ワンワン物語 ~金持ちの犬にしてとは言ったが、フェンリルにしろとは言ってねえ!~

疲れているときに、何も考えずに読むのにちょうどいい。ヒトと動物では味覚が違うとか、そういうことも考える必要はない。登場する生き物は、外側は異なっても中身はヒトであり、大きさが変われば質量も変わる不思議な変装。大きくなったら自重で動けなくなるのでは、とか考えてはいけない。妄想を楽しく形にしたのが本作なのだ。というわけで、特にコメントはないのだけど、疲れているときに設定の複雑な本は読めないな、と思うことについて少しだけ書いておく。

新型コロナウイルスの感染が広まったこともあって、休日の大半は本を読んで過ごすのだけど、疲れがたまっているのかそうでもないかで読む本の種類が変わってくる。(誰にも言っていないので)いい年してライトノベルを読むのか、といわれることはないのだけど、自分で思うときはある。でも、軽いものを読みたいときも結構頻繁にある。そういう時は、いわゆるなろう小説を読むことが多い。どれも一応編集の目は通っているのだろうけど、すでに多くの目を経ている作品をいじりたくないのか、設定が雑なものも多い。いちいちそれに突っ込むのではなく、そういう設定の下に何を妄想しているのかな、と思いながら読む。スライムのあれとかも、まじめに設定を理解しようとしている人はどれくらいいるのだろうか、原子が崩壊しても大丈夫?と一瞬考えるけど、これは超すごいこうげきなのだ、と読む側も若干馬鹿になりつつ読むのが楽しい。途中まではまあ、魔法がある世界だし、と思いながら読んでいたけど、最近魔力はどこからきているの?とも思うし、もしかしたらどこかに書いてあったのかもしれないけど、理解していない。

本作は、インチキくさい魔法の説明すらない。最強と言えば最強で、後半にそれを防ぐものが出てきたりもっと強いものが出てくることもない。最強と言えば最強なのだ。彼はとにかく戦いで苦労することはなく、大きくなったり光線を出したときにたぶん多くの無関係な生き物を殺しているだろうけど、気にしていない。変身の万能感がすごい。排泄も、恐怖を感じたときに失禁しているみたいで、そのおかげで作物が豊作だそうだけど、普段恐ろしいほど食べているのに排泄があるのかないのかの記述はない。あれだけ食べていて、その分排泄していたら畑だけでなく各地で木々が大きくなっていそうだけど。特にコメントはないとか書きながら、書いていると疑問点が出てくるな。抜け毛に圧倒的魔力が含まれているのに結構抜け毛が多く、燃えることもないのでどんどんたまっていそうだ。

否定的なことを書いているようだけど、疲れているときにはちょうどよかった作品で、人気もそこそこあったから7巻まで続いたのだろうと思う。小説家になろうでは、日常が描かれているそうなので、疲れたら読みに行こうかなとおもう。

 

おまけ

野生のラスボスが現れた

オーバーロードみたいな話かな、と思いつつ、フェンリルと同じく、あまり考えずに読める枠で2巻まで読んだけど、あとがきを読んで急にそのあとを読む気がなくなってしまったのでここで終了。続巻もたくさんあるみたいなので、好きな人には刺さる作品なのかもしれない。フェンリルと同じなのに、なぜ嫌になってしまったのか自分でもわからない。しばらくたったら、なんで読まなくなったのか忘れそうなので、一応感想を残す。

 佐々木とピーちゃん

いろんな世界観をごちゃまぜにしたらどうなるかを試しているような作品。現実と異世界を行き来し、現実の製品を異世界で高く売る、という流れは正直嫌いだ。主人公は、ヒトが移動するとウイルスを運ぶかもしれないなどと考えつつも平気で行き来するようになる。まあ、異世界と行き来できるようになる状況で、そういったことを深く考える人は実際にはいないのかもしれない。例えば、新型コロナウイルスを持ち込んだらどうなるのだろう。意外と交通網が発達していないから、ある程度の範囲で収まるかもしれないし、転移することで各地に広まるかもしれない。

話はテンポよく進み、現実と異世界を行き来するたびに何かしらの出来事が起きる。その問題を解決しようとすると、更に問題が出てくる、といった感じ。

ライトノベルでは、多少の騒動も政府が押さえ込んでしまうことがままあるのだけど、実際に可能だろうか。まあ、破壊された建物などを元通りにできるのであれば、見たひとの勘違いか、ねつ造と思われるだろうけど、余りにもそういうことが頻発したり、観測者が多い場合にはごまかせなくなるのでは、と思う。独裁国で、通信を管理できる状況であれば、可能と考える人はいて、そこそこ情報を制御できていたのだろうけど、どれだけ輝かしい盾があったとしても、それを回避する方法はあるようだ。

魔法=想像力とはどのあたりから広がってきたのだろう。異世界の人にはそれほど想像力がないのだろうか。それとも、アニメや映画での効果を参考に想像しているから、現代人は魔法の効果を想像しやすいと考えているのだろうか。うっかり核爆発をイメージしてしまう、うかつな人もきっといるだろうに、そういう人は物語にはいない。うっかり死んでしまっているので、物語にはでてこないのかもしれないが。

見た目と能力の違いを大きくするとき、多くは子供の見た目だけど大人以上の能力を持つことが多い。見た目は老人だけど力持ち、とかもたまにあるか。ハンターハンターとか。見た目が老人で魔法の扱いに優れていても、妥当と考えるのだろうか。知識による力、もしくは筋力に頼らない力は、年をとっても変わらないと考えるのかもしれない。話は少しそれるけど、年を取って自由な時間ができればやりたいことがあったとしても、年を取るまで待っていてはいけない、といった意見を見た。確かにその通りで、若いころに比べて、集中できる時間が短くなってきている。良し悪しは別として、子供のころは本を一冊読み終わるまで飲まず食わずということも良くあったけど、今となっては23時間で疲れてしまう。また、きちんと読むようになったこともあるのだろうけど、読む速度も遅くなった。言葉を想像に展開するのに時間がかかっていると感じる。悪いことばかりではなく、子供のころは詳細が想像できなかったものについても想像するようになったからだとおもう。その方がきっとよりその世界を楽しめるし、作者の想像している世界に近づいているような気がする。

主人公は全くの善人ではないし、悪人でもない。著者が想像する読者像に近いのかな、と感じる。大それたことは望まないけど、働かずにおいしいものを食べるくらいのことは望むようだ。性的にはがつがつしておらず、子供に手を出さない理性はある。でも、大量に人が死んでも、画面の向こうの出来事のような感情の処理をする。なかなかに怖い。あまり内容に触れないように書いているつもりだけど、初期に文鳥となしたことについて、その世界にいる人と交流を持つようになっても何も思い返さないことが怖い。主人公の細かな感情の揺れを書く余裕はないのかもしれないけど、そもそもあまり大きな感情の変化はないように見える。想像の中で異世界に行ったときにこういう行動をとりそうだけど、実際に、強烈な敵意を向けられたときに、淡々とできるだろうか。そんなに精神力が強いのであれば、現実社会(作中のではなくいま僕が生きている世界)でももっと図太く生きられるよな、とおもう。

どこかで見たようなキャラクタが多いけれど、処理がうまいし、とても読みやすい。4巻までまとめて買ったけど、一気に読めた。終着点を考えているのかいないのかはわからないけど、過程を楽しむ作品だと思うので、今後も期待。

 

 

小川一水 天冥の標

10話として始まった、壮大なSF。一応1巻から順に読んでいるけれど、それぞれ独立していても楽しめる。ここで終わり?というところもあるので、全部読んだ方がより楽しめそうではある。今は6話まで読んだ。最近、ある程度既刊作がある作品でも、一気に読むともったいないと思うのか、まとめて買ってもしばらく置いておく癖ができている。たぶん、まとめて買ったのは8話の1巻が出たぐらいだった(キンドルにそこまでしか入っていなかった)。正月や盆など、比較的長い休みのときに、少しずつ読み進めていた。一つの物語を長時間楽しむ体力がなくなっていることもある。

最初に壮大なSFと書いたように、描写されている期間は1万年近くに及ぶ。もちろん密に描かれているのはその中の一部で、点と点がつながっていく感覚が心地いい。ときにセクシャルな描写が多い話もあるのだけど、それはそれで全体として欠かせない要素なのだろう(現時点では過剰にも感じる)。あらすじ等は販売サイトに任せるとして、本作を読んだ人はきっと、宇宙での生活を想像するだろう。幼いころ想像した宇宙はあまり現実味がなく、作業の怖さや宇宙の広さを想像するばかりで、生活についてはあまり考えていなかった。宇宙ステーションはリング型で、上を見上げるとさかさまに歩いている人が見えるイメージだった。規模を想像できていなかった。たぶん肉眼で上の相手が見える程度の大きさでは小さすぎる。ある程度大人になって以降、そんな大きさでは多くは(地球のように)生活できないとわかったけれど、今でも実際どんなスケールなのかはまだ想像できていない。SF心者にとってもいい小説だな、と思うのは、所々で具体的な数値が出てくるところだ。抽象的な言葉からイメージを喚起できない人間にとっては、具体的な数値を出してもらった方がわかりやすい。わかっているひとにとっては余剰な情報なのかもしれないけれど、ありがたい。詳細が述べてあっても理解できないことも多い。たとえば、レーザーも、どんどん拡散していくのを外側から何かしていると書いてあった(気がする)のだけど、光速で移動するレーザーの外側から何かできるのかなあ、と思いながら理解をあきらめて(よく言えば理解を後に回して)み進めた。とにかくまっすぐ進むレーザーがあって、電力を供給したり攻撃したりできるのだ、と思って読んでも特に支障はない。難しい話は、ある程度概念だけわかった(つもりになった)ら作品は楽しめる。フィクションではなく、現実の科学は理解できているだろうかというと、もっと怪しい。本を読んで、その直後は理解した気分でいてもしばらくたつと忘れてしまうことが多い。理解していれば、固有名詞は忘れても概略は説明できそうなものだ。異世界転生もので、よく現在の地球上の文明を再現するけれど、大したものだと感心する。作るのはその世界の人間(違う時もある)でも、説明するには原理を理解しておく必要があるからだ。そういう意味では、異世界もので地球から機器を持って行ったり、行きかえりするのは、著者が理解していないのか読者に理解できないだろうと踏んでいるのかわからないけれど、好みではない。

物語の中では、酸素が不要となった人類が出てきたり、外骨格を持つ人類が出てきたりするのだけど、本質的には変わっていないように思えた。そういう風に描いているのか、描いているうちにそうなったのかはわからないけど、これだけしっかりと描かれているのだから、著者は、多少生理機能が変わったとしても、人間の本質は変わらないと想像しているのかもしれない。そう設定しただけかもしれないし、そもそも本質が変わらないと書いたつもりがないかもしれない。作中の未来では、貧富の差はなくなっておらず、それもまた変らないことなのだろうけど(本質なのだろうか)、差は今よりも少なくなっている。病気に関する偏見もだいぶ減っているのだろう。多くの病気が治るであろう未来で、恐れられている感染症として冥王班がある。生き残った場合、いつまでも感染力を保持し、垂直感染では死なず、感染させた相手に対する毒性は残るという感染症は、実際に存在するとは考えにくい(メカニズムが思いつかない)けれど、非常に恐ろしい。最近で言えば、ジカ熱に感染した患者が、結構長く感染力を保持していたか。今のところ、致死性が高いウイルスは感染力を長期間保持していない(死んでしまうので接触する機会が減る)。ほとんどの病気がない社会では、病気の原因となるものが過剰に恐れられる可能性もあるのかな、とふと思った。

能力や財力を考えても、これから宇宙に行くことはないだろう。死ぬ前に一度くらい、相対的無重力を感じるくらいは経験してもいいかもしれない。死ぬ前に、想像する宇宙との違いを、少しでも感じてみたかったな、とおもう。

とここまで書いてしばらくたった。最近の、と言いつつジカ熱の話をしているのでそのころに書いたのだろう。今はコロナウイルスが流行っていて、いつ収束するかしら、という感じだ。コロナウイルスは今までにありそうでなかったタイプの感染症で、感染力は強いけど、かかれば死ぬほどの病原性はなく、基礎疾患のある人は重症化しやすい特徴がある。ウイルスとしてはよくできていると思う。いずれ、免疫を持たれてしまうのだろうけれど、人口の半分にでも感染することができれば、大勝利なのではないだろうか。まあ、ウイルスに目的なんてないのだろうし、たまたまこういった性質をもったウイルスが出てきてしまっただけで、勝利も敗北もあったものではない。人類の敗北はいずれあるかもしれない。ヒトは、HIVウイルスの感染も克服しつつある。もはやAIDSはかかれば死んでしまう病気ではない。

このへんでこっそり明かしてしまうと、失われたと思っていた下書きが出てきたので更新していたりする。この文章も、少し前までと今このときに数ヶ月の間隔がある。コロナウイルスは、一年後ぐらいに薄く広く人類に広がって収束すると予想していたけど、思いの外重症化する割合が高く、後遺症も高頻度で長引くようで、まだまだ収束する様子はない。

自分でもいつ頃書いたのかな、と思いつつ改めて追記している。新型コロナウイルスはまだ新規感染者数を維持しながら、もしかしてピークアウトかな、というところだけど、まだまだ予断は許さない。どうなるのかな。そんな状況の中、ロシアが不穏な動き。戦争はしないでいてほしいけど、それが外交的な武器(本当に武器だけど)になると判断すれば強行する国はあるだろうなと思う。それを避けるために頭のいい人たちが頑張ってくれているはず。日本だけが平和でいいとは思わないし、そんな都合のいい話にもならない。思ったほどひどい事態にならなくてよかったね、と話せたらいいのだけど。

最後に、途中までの感想は読了していないときの感想だったから、少しだけ追加すると、物語はきれいに完結した。ある程度の道筋は決まっていたのだろうけど、壮大な物語だった。リアルタイムで読めたことがとても嬉しい。

 

《天冥の標》合本版

《天冥の標》合本版

 

 

鳳乃一真 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金

 

世界中の遺跡からびっくりアイテムの収集につとめていた少女が殺害されたのち地縛霊としてあるアパートによみがえり、そのアパートに引っ越してきた少年を介して外部と交流する。ある意味安楽椅子探偵、ではない。七々々は多くを知っているけれど、今を知らない。

あまり現実味はなく、常にフィクションであることを意識する作品で、個人的には珍しい感触だ。なんとなく現実にいる人の感覚に近い登場人物がいて、その人物を通して世界の異常さを測ることが多い(か?感覚としては、かな)中、ほとんどが超人なので、そういう人たちの世界なのだなと常におもう。そこで感じるのは、多少身体能力や思考能力が卓越していても、考える枠はヒトから大きく外れるものではないのだろうか、という点だ。我々人類は、ほかの思考する生物に相対したことがない。類人猿や、脊椎動物も思考するのかもしれないけれど、今現在彼らが思考していると感じられるのは、人類の思考を基準として外挿しているだけだと思う。つまりは、錯覚だ。もし、類人猿が深く思考していたとしても、それを我々の枠組みでとらえることは難しい、もしくは不可能だ。もっと言ってしまえば、同じヒトでも思考しているかどうかはわからないのだけど。

感覚が似ていても異なる生き物について、どこまで共感できるのだろう。腕がちぎれても生えてくる世界では、腕をちぎられることの意味合いは、現実世界よりも小さい。死んでも生まれ変わったり幽霊になったりしてその環境に戻ってこれる世界では、死ぬことの意味合いは、現実よりも小さい。そういった世界(物語)でも、悲しいことには共感するし、楽しいことにも共感する。飼い犬がはしゃいでいたら(いるように見えたら)こちらも楽しいのと同じだろうか。ヒトと異なる生き物たちでは、きっとそれぞれの感覚が占める価値が異なるのだろう、と想像する。片手を失った悲しみよりも、生きなければいけない、生きよう、とする思いのほうが強い。ヒトはある意味感情に支配される。損得勘定を超えることも多い。それはつまり、感情の価値が高いということだ。話がそれてきているので、感情の価値については別の機会に書くとしよう。

今これを書いている現在、10巻まで読み終わった。途中でイラストが変わって、印象がずいぶん変わった。初めのイラストの印象で読んでいるので、イラストが出てくると若干の違和感がある。体調不良による交代でったようだけど、元のイラストレータの赤りんごは、今も活動中で、無事回復しているようで何より。終盤を控えての感想だけど、まず。びっくりアイテムを奪われた人たちは特に取り返しに来ないのだろうか。誰に奪われたかはおそらく把握しているはずなのに、取り返しに来る様子がない。すべて円満解決だったのだろうか。初めに書いたように、だいぶ現実の感覚とはずれているところがちらほらみられるので、もしかしたらこれは現実世界ではないのでは、との思いがある。それでは少し面白くないので、違った結果が望ましいのだけど、さて、どうなるだろうか。

そして、読み終えた感想は、なんだこれは、だ。こういう終わり方があってもいいと思うけど、続きをどこかで書くとはっきり書いてある以上、最終巻と銘打ってもいいものか。なんとなく、自分の中では完結してしまった感じがあって、次に出たときにすぐに読み始めることはないとおもう。完結したことをどこかで知って、気が向いたら読み始めるだろう。若干頭が固いところがあって、何かが最後、と公言した後、実は続くといわれてもあまり盛り上がれない。何年かたって、復活するものはあまり気にしないので、切り替えが遅いのだとおもう。次に読もうと思ったときは、アニメを古く感じるかもしれないので、今のうちに見ておいて、声のイメージを固めておこうと、見た。

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佐伯真二郎 おいしい昆虫記

虫はずっと苦手なのだけど、歳を重ねるにつれて寛容になってきたのか、部屋の中に出る程度の虫は気にならなくなった。と入っても、ほとんど見ることはなくて、時々蜘蛛が出てくるくらい。

虫を食べるのは想像もしたことがなく、蜂の子ぐらいなら食べられるかな、と思いつついざ本物を見たら腰が引けるだろう。エビやシャコなど、海にいる足が多い生き物は虫に見えて食べられなかった。今でも若干苦手ではある。

著者は、もともとは虫が苦手だったようだけど、生真面目な性格なのか、虫に対する姿勢や、昆虫食を広めていく方法などにも悩んでいる。それを隠さないのは、ある意味強いことなのだろう。奥様については、詳しくは触れられていないが、彼を支えていることに間違いはない。

虫の味は、おそらく基本的にはエビに近いのだろう。手にしたときの重さから考えるとあまり中身は詰まっていないと思う。重量中のタンパク質量は多いようだけど、タンパク源として考えられるほど、たくさん食べられるのだろうか。味の話に戻ると、エビに近いだろうと書いたものの、多彩な味があるらしい。匂いも、好意的に書かれているけれど、それに直面して食欲が亢進する気がしない。エビの種類で味が違うともよくわからないほど味音痴なので、きっと虫の味の違いもわからないだろう。

昆虫食を広めることができました、めでたしめでたし、という話ではない。今もまさにラオスで養殖しているし、販路の確保など、課題は山積みだ。まだ食べたいとは思わないけれど、将来の食料源になることは間違いないだろう。今後の活躍に期待する。

 

おいしい昆虫記 (Natsume-sha Science)

おいしい昆虫記 (Natsume-sha Science)

  • 作者:佐伯 真二郎
  • 発売日: 2020/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 オキシタケヒコ 筐底のエルピス

 

 

円城塔の推薦文が目立つ帯で、気になっていたものの、手を出していなかった作品。停時フィールドという、時間と空間を固定することで様々な効果をもたらす場を操ることができる人たちの戦いを描く物語。真の敵は鬼と呼ばれる存在で、鬼に対抗する組織が世界でいくつかあり、その組織同士での諍いもあり、鬼との戦いもある。

細かい設定はたぶん読まないと分からないだろうから、これ以上は書かないけど、なかなかに凝った設定で、面白い。今4巻まで一気に読んだけど、もうぐったりしている。面白いのだけど、いわゆるなろう小説のようにふんわり読んでカタルシスを得るような作品ではなく、希望と絶望が繰り返し提示されるので、読んでいる側もとても疲労する作品だ。もちろんそれが嫌なわけではなく、物語としてとても面白い。

ネタバレをしないで書けるのはこの程度なので、直接は関係がないけど、この本を読んで思ったことを書いておこう。あまり周りに本を読む人がいないので、本について感想を話す機会はほとんどない。よく趣味には読書と書く、などといった話は昔の話で、最近はそうでもないのかもしれない。絶対的に話す人が少ないことも否めない。本を読むということの一つに、文章を読んで、頭の中で展開することがあるけど、それはおそらく人によって精度が違う、というか、場面によって密度が違う。書いてある世界をしっかりと想像し、例えば主人公が移動しても、元いた場所についてのイメージを残したままの人もいれば、次の場所のみのイメージになる人もいるだろう。どちらかといえば後者で、話がつながった時にその場所を思い出すことが多い。その時、脳内では移動前の場所では時間が止まっているので、スムーズにつながらないこともある。

知らないことについては展開できないことも多い。わざわざ読むのを止めて、何かの仕組みを確認することもあるけれど、たいていはぼんやりとしたイメージのまま進む。海外の小説を読みづらいのは、知らないことが多いことと、想像したことがずれていることが多いためかな、と自分ではおもう。今では多少知識が増えて、そんなにずれることはないとは思うのだけど、昔の苦手意識が残っているのだろうか。

何度か書いているけど、原作を読んだ後にアニメを見ると、原作を読んだ時のイメージ映像が置換されることが多い。何話か見ると、どこまでを原作で読んでどこまでをアニメで見たのかわからなくなる。これはきっと、想像力に優れているためではなく、キャラクタ以外の部分をあまり想像していないからではないだろうか。キャラクタ以外の要素が少ないため、全体のイメージもすっかり入れ替わってしまったように錯覚しているのはと思う。これの良いところは、そこそこ長い話の一部だけがアニメ化された場合、続きもアニメでみたような気分になれることで、悪いところは、間をあけるとどこまでアニメで見たのかわからなくなってしまうところ。

ここまで感想を書いていて、しばらく間があいたけど、7巻まで読んだ。面白い。とても面白い。刊行間隔があいてきているのが気になるけど、十分待つ価値はある。着地点はどこなのだろう、と考える。こうなるかな、と思うことがあるのだけど、書かないでおこう。当たったからと言ってどういうものでもないし、書くことの弊害の方が大きいだろうし。いやあ、楽しみだ。