オキシタケヒコ 筐底のエルピス

 

 

円城塔の推薦文が目立つ帯で、気になっていたものの、手を出していなかった作品。停時フィールドという、時間と空間を固定することで様々な効果をもたらす場を操ることができる人たちの戦いを描く物語。真の敵は鬼と呼ばれる存在で、鬼に対抗する組織が世界でいくつかあり、その組織同士での諍いもあり、鬼との戦いもある。

細かい設定はたぶん読まないと分からないだろうから、これ以上は書かないけど、なかなかに凝った設定で、面白い。今4巻まで一気に読んだけど、もうぐったりしている。面白いのだけど、いわゆるなろう小説のようにふんわり読んでカタルシスを得るような作品ではなく、希望と絶望が繰り返し提示されるので、読んでいる側もとても疲労する作品だ。もちろんそれが嫌なわけではなく、物語としてとても面白い。

ネタバレをしないで書けるのはこの程度なので、直接は関係がないけど、この本を読んで思ったことを書いておこう。あまり周りに本を読む人がいないので、本について感想を話す機会はほとんどない。よく趣味には読書と書く、などといった話は昔の話で、最近はそうでもないのかもしれない。絶対的に話す人が少ないことも否めない。本を読むということの一つに、文章を読んで、頭の中で展開することがあるけど、それはおそらく人によって精度が違う、というか、場面によって密度が違う。書いてある世界をしっかりと想像し、例えば主人公が移動しても、元いた場所についてのイメージを残したままの人もいれば、次の場所のみのイメージになる人もいるだろう。どちらかといえば後者で、話がつながった時にその場所を思い出すことが多い。その時、脳内では移動前の場所では時間が止まっているので、スムーズにつながらないこともある。

知らないことについては展開できないことも多い。わざわざ読むのを止めて、何かの仕組みを確認することもあるけれど、たいていはぼんやりとしたイメージのまま進む。海外の小説を読みづらいのは、知らないことが多いことと、想像したことがずれていることが多いためかな、と自分ではおもう。今では多少知識が増えて、そんなにずれることはないとは思うのだけど、昔の苦手意識が残っているのだろうか。

何度か書いているけど、原作を読んだ後にアニメを見ると、原作を読んだ時のイメージ映像が置換されることが多い。何話か見ると、どこまでを原作で読んでどこまでをアニメで見たのかわからなくなる。これはきっと、想像力に優れているためではなく、キャラクタ以外の部分をあまり想像していないからではないだろうか。キャラクタ以外の要素が少ないため、全体のイメージもすっかり入れ替わってしまったように錯覚しているのはと思う。これの良いところは、そこそこ長い話の一部だけがアニメ化された場合、続きもアニメでみたような気分になれることで、悪いところは、間をあけるとどこまでアニメで見たのかわからなくなってしまうところ。

ここまで感想を書いていて、しばらく間があいたけど、7巻まで読んだ。面白い。とても面白い。刊行間隔があいてきているのが気になるけど、十分待つ価値はある。着地点はどこなのだろう、と考える。こうなるかな、と思うことがあるのだけど、書かないでおこう。当たったからと言ってどういうものでもないし、書くことの弊害の方が大きいだろうし。いやあ、楽しみだ。