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[読了] ランドスケープと夏の定理
一つのアイデアを広げて描かれた作品。冬木糸一さんの紹介文を見て買った。あまり一人の意見を大きく受けとって何かを買うことはないのだけど、書評家の感想と自分の感想のずれを認識していれば、こういう感じのおすすめの時に自分好みの作品に出合える、という関係性が分かるかもしれないと期待した。本作に関しては、絶賛されているほどの受け止め方はなかったけど、面白く読めた。イーガンに萌えを足した、とあったけど、ベースの説明はそこまで入り組んだものでもなく、天才という言葉に紛れさせていた印象だ。ただ単にこちらが理解できていないだけかもしれないけれど。容姿を想像させる表現は少なかったような気がするし、萌えというほどの何かは特になかったのでは。もしかして主人公以外……、と思ったけど全然違ったので、きちんと読めた自信はない。ディープラーニングが進み、犯罪が起きる可能性が高い場所や、雨が降る可能性が高い場所が事前に示されるようになってきた。テレビ番組などでは、判断理由は人間に理解できないと言っていることが多いけれど、判断理由を出力するようにすれば、これまで何時に何回この場所で犯罪が起きていたので、この時間に犯罪が起きる可能性が高い、と出てくるはずだ。そんなデータはない、と人が言うこともないだろう。未来予想に関しては、それほど先のことがわからないがゆえに、即時的に判断しなければいけないことが多いので、いちいち理由を聞いて理解している時間がないのが現実だろう。本作では、AIを活用して新たな理論が示された。その確実さにあいまいな点があるものの、今現在でも仕組みを知らなくても使えるものは多く、その理論が正しければ、運用することは可能だ。AIに新たな理論を作らせるのは、なかなか思考実験としては面白い。問題点は、その理論が導かれ、運用されることも組み込まなくてはいけない点だろうか。理論だけなら、現実の運用は度外視してもよいのだろうか。ちょっと興味深かったのは、機能制限されたAIが砕けた話し方になったところ。敬語を話すためには土台として軽い言葉を知っておく必要があるという理屈だろうか。そんなものだろうか。両方把握していれば両方話せるだろうけど、話し方の上位にあるとは考えにくい。人では、主に習慣として敬語を話すか、軽い口調で話すかが分かれるのではないだろうか。文章ではそれなりに丁寧に書いてはいるけれど、実際にはほとんど敬語を話す機会もなく、話し言葉はひどいものだ。誰に口をきいているのだ、と親に殴られていたにもかかわらず、口調が丁寧にならないのは、そういった能力が欠けているからだろうか。それとも、意地でも敬語(丁寧語)を話すものかと反抗心を持ったためだろうか。実際は、ただ単に話さなくなっただけなので特別反抗心は芽生えていないと思うのだけど。つまりは、両方知っていても敬語が話せない人もいるということか。逆も当然考えられる。なので、ここでAIの口調が変わったのは、論理的な理由ではなく、萌えを意識したためかもしれない。比較的近未来なので、近未来SFと言っていいのだと思うけど、近未来のSFにはかなりの現実味が要求される。知識がある人のほうが気になるのか、知識がない人のほうが気になるのかはわからないけれど、中途半端な位置にいると、すぐにそれはないだろう、とか無理がある、とか若干否定的な考えを持ってしまう。もっと一度滅んで再生中の世界とか、かなり未来で、よくわからないけどこんな技術があるとの前提で進めてもらったほうが、物語には入りやすい。著者の本職は、これまではアニメのSF監修などを務めていた人のようだ。文章は読みやすいし、次作も読んでみたい。
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[読了] 郡司めぐ キリン解剖記
とても面白かった。本の構成上いろいろと省略しているのだろうけど、これは研究の過程が書いてある本だ。テーマを決め、現在わかっていることを調べ、わかっていないことについて一定の説があるか、これまで触れられていないかを調べ、自説を考え、科学的なアプローチを考え、着手する。得られた結果から自説に沿う点、異なる点を見つけだし、整合性のある説を考え出す。技術の進歩はあるものの、解剖は昔からされてきたことであり、ライバルは100年以上まえから、というのがおもしろい。個体数が少ない生き物や、あまり触れられていない生き物については、研究者そのものが少ないので、少し前の人物でも身近に感じられるのもおもしろい。本作で示されていることはすごいことではあるけれど、おおもとの説は昔の人が考えたものであり、改めて証明はしたものの、少し物足りなく感じているのではないか、とも思った。小動物であれば、いっそのこと全体を固定してしまい、スライスして観察し、再構成しまうことも可能だろうけど、大動物では運搬の都合上、分離することで失われる情報もあるようだ。巨大生物解剖図鑑では、キリンの反回神経について触れられていた。片づけてしまったので今は読めないけど、新たに神経を作り出してつなぐよりも、元の神経を利用したほうが手っ取り早い、と書いてあった気がする。キリンは、頸椎を増やすよりも一つ一つを大きくしたり、胸椎を応用したりしたほうが手っ取り早かったのだろう。しかし、椎体の形はどれもそこそこ形が似ているのだから、増やさないまでも一つ位置をずらすほうが簡単にも思える。同じ種でも椎体の数が異なるものもいるようだし、頸椎と胸椎の境目を決める遺伝子は、結構自由度が高いのではないか。となると、何かほかの理由で哺乳類の頸椎の数が縛られている可能性が考えられる。椎体の数で規定されることはなんだろう。増えても困る、減っても困る、つながっても困らない。可動範囲は、問題にはならない。情報処理的な問題か。中枢と末梢を分ける必要があるから?鳥類だってわかれている。うーん。なんにせよ物理的な理由だ。まあ、にわかに考えても思いつくものでもない。生きている間に何か指し示されるだろうか。楽しみだ。そこそこ機会が多いのならば、キリンの解剖に立ち会ってみたい(可能なら自分でも手伝ってみたい)ものだ。もう少し頭が良かったら、こういう人生もあったかもしれない(悪いからないのだけど)と妄想するのも少し楽しい。
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[読了] 嘘の木 フランシス・ハーディング
なんとなく紹介される本をたどっていって、たまにはジュブナイルを読んでみようと思ったので購入。最近本屋さんをめぐることも少なくなってしまったので、何か別のパターンで本を見つける方法を試しているところ。でも、実際には好みの傾向をたどっているだけかもしれない。
嘘の木のシステムとして、木に認証される必要がある点が不可解であり、面白い。そこいらじゅうの嘘を拾ってしまってはどうしようもないし、その周囲にある真実もかすんでしまうだろう。過剰に残酷な場面があるでもなし、ジュブナイルとしては良いのではないかと思う。ただし、フィクションでの残酷さに慣れてしまっている可能性は否めない。
幼いころ、よく嘘をつく友人がいた。知り合った当初は騙されていたけれど、いくつか話を聞くと、本当の話が少ないことに気が付く。嘘が多いというよりも、誇張しているのだ。話が面白いので、聞くだけならまあいいかと思っていたのだけど、こちらが軽い失敗話をしたらかなり拡張されて広まっているのに驚いた。なるほど、これがデマが広まる仕組みなのかと幼いながらに思ったもので、次第にこちらの話をしなくなり、向こうの話を他者にすることもなくなり、関係は薄れていった。子供のころの話ではあるけれど、大人になった今でもこういう人は存在する。さすがに程度がましにはなっていて、たまに半額シールが貼られた総菜を買っていたら、半額になるのを待って買い占めていると言いふらされたりするぐらいだ。興味深い点は、実際にあった人は言いふらした人ではない点だ。つまり、話を盛ったのは、買い物をしているときにあった人である可能性もある。ただ、言いふらす人はいつも同じなのでその可能性は低いような気がする。彼らは、特に害はないけれど、内心での信用度が下がっているので、その人に対して話す内容を選択するようになる。どちらがメインなのかはわからないけれど、ほかの件もあるので、どちらも警戒して損はない。話を誇張したり、誇張して広めてしまう人は、どういう思いなのだろう。面白ければいい、と考えているのか、話を誇張しないと聞いてもらえないと思っているのか。あまり話さなくても平気なほうなので、そういう人からは距離を置く。すると偏屈ものとして話が広まったりすることもあるけれど、しばらくしたらそう言ったうわさはなくなる。特に偏屈ものとしての活動はしていないからだとおもう。
ツイッター(だけではないが)が広まったことで、簡単に嘘をついてそれを広めることができるようになった。新しいアカウントを作って、デマがばれたら削除できる。都合のいい情報をまとめて、世間の意向だと示すこともできる。こういったツールができると、しばらくは騙される人もおおいし、実際にうのみにしそうになったこともある。今では、作者が自分の宣伝をするとか以外は原則信用しない。災害時のツールだともてはやされている一面もあるけれど、現実的には、緊急時に個人アカウントのツイッターを情報源とするのは危険だと思う。ここぞとばかりにデマを広げる人がいるだろうし、そのための準備をしていてもおかしくないからだ。公的アカウントを信じればいい、と考えてしまうけど、それっぽい名前を作るかもしれないので注意は必要だ。過去のツイートをたどればある程度本物かどうかはわかるかもしれないけど、緊急時にそれをする余裕がある自信はない。だから、よほど藁にも縋りたい状態でなければ、個人でも発信できるツールについては信用しない。SNSを活用している人は、普段の交流の中で信用できる人を見つけているのかもしれないし、すべての個人の発信を否定はしない。wwwができたばかりのころは、発信できる人がある程度限られていたため、それらの情報の信頼性も高かった。大勢が発信するようになり、ほとんど役に立たない情報が多くなって、信頼できる人を探す必要が出てきた。若者たちは、YouTuberなどを信用しているのかもしれない。自分で考えて、信用できる人を選べばいいかもしれないけど、信用できる人が信用する人は、必ずしも信用できるとは限らない。とにかくうのみにしないことが大切だと思う。これから先、終戦のころにあったような大きな嘘は現れるだろうか。
少し前までは、プログラム上の小さな嘘で大きくだます、ぐらいならできるだろうと思っていた。具体的には、入金先を変えるとか、競合からこっそり外すとか。扱う額が大きいと、その程度の作業でも大きくだますことができる。ただ、だれだれの子孫とか隠し子というのは、科学技術の進展もあって、押し通すのは難しくなったようにおもう。個人のことは隠せるかもしれないけど、規模が大きくなり、公共性が増した場合、多くを隠すことは難しくなるはずだ。この先AIを生かす技術が発展したら、誤認識を利用した嘘は通じにくくなり、ルール上の盲点を突く嘘が出てくるだろう。それもいずれは淘汰されると予想される。ということで、将来については、大きな嘘はなくなり、対面での小さな嘘(嘘と書いているけれど、つまりは詐欺)が増えると思われる。
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[読了]死とは何か
なんとなく生きていると明日死んでいるとは考えにくいものではあ
日本向けの版では、ある部分がごっそりと削られており、
死生観は、最終的には世界共通なのだろうか。
いくつかの考え方を想定して、
すごくよかったことも悪かったこともなかった人生ではあるけれど
それほど遠くない未来、
エンディングノートを買って、記入し始めているのはいいものの、
初めにも書いたけれど、本作は比較的早くに購入して、
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[読了]森博嗣 ジャイロモノレール
これは、新書で書いてしまうのね、と思うくらいすごい内容だった。専門書にするには不足している部分もたくさんあるのだろうけど、とにかくすごい。まず、ジャイロモノレールに着手した過程がすごい。いろんなところにアンテナを張っているのだろうけど、工作仲間から伝え聞いたジャイロモノレールについて、ずっと頭の片隅で考え続け、まじめに調べたら論理的な破綻はない、と判断して実際の研究を始めるあたりぞくぞくする。Brennanも、特許をとるときに、論理的には整合性のある内容であり、かつ、コツとされる部分については明記しないで主要な部分は書けるのがすごい。何に感動したかって、特許には嘘を書いていないのに周りからはトリックだといわれるほどの技術であり、実際にそれを読んだら(技術的には進歩しているものの)再現できることに感動した。当時の技術ではかなり難しかっただろうし、資金も多かったであろう、とあったけど、それにしても同時代の人間や、それ以降100年間もトリックだといわれることを成し遂げていたって、かなりすごい。Brennanもすごいし、森博嗣もすごい。何だこの頭が悪そうな文章は。
イラストと文章をみて、なるほどねとは思うものの、試号機の写真を見ればイラストはだいぶ単純化したものであり、そこかしこに工夫がいりそうなことが見て取れる。ばねで不安定にする機構にしても、ばねの力が復元力を超えるようでは台無しだろうし、本体もそれなりの剛性がないと前後に配置したときにうまく相殺できなさそうだし。動画を見れば、音がそれなりにあるのでかなりの回転をしていることもわかる。音が出るのは無駄があるからだそうだけど、人が乗れるような大きさだと、そばにいるとかなり怖そう。重たそうなものが高速回転していたら、止まっているように見えるだろうけど、実は高速で回っているのだと知った瞬間にぞくっとするだろう。実際に運用するとなると、エネルギーの問題もあるのだろうけど、コマの軸部分の摩耗が結構激しそう。
こんなことがそこいらの人にできるのだろうか、と思うけど、時計職人の方など、すごい人が登場しており、感心してしまう。こんな超絶達人が近くにいたら自分の工作技術はそれほどでもないとか言ってしまうのもわからないではない。ただ、工作できる環境を持っていて、かつこのレベルで工作できる人は、上位1%(控えめ)に入っているだろう。上には上がいるのだろうけど。
最終的には、各個人がこういった研究テーマを持つのが文化的な成熟だ(ここまで言っていなかったかも)との話だけど、なかなかこのレベルは難しい。でもまあ、袋ラーメンのパッケージや新聞の号外など、個人で何かを収集し続けて、その変化を調べている人はそれなりに多いようだし、一部の文化は成熟しつつあるようにも思える。ただ、不可能だと思われていた技術は実は可能だった、とのレベルではほぼ無理だろう。個人がゼロ戦を作ったとか、100年前に使われていた絵の具を再現したとか、数百年前の技術で作った船で大陸間を移動したと聞いてもここまで感動はしない。たぶんできるだろう、と思うし、できる人も何人かいるだろうと思うからだ。何だったら同じくらい感動するだろうかとしばらく考えてみたものの、いい例は浮かばない。
読書以外の趣味は、研究レベルとは言えないし、同好の士を探してみるとはるかに上の技術を持つ人がいる。また、特に一緒に何かをしたいとは思わないし、褒められたくもないし、大して理解できないひとに馬鹿にされるのも面倒なので、SNSなどで公開もしていない(SNSをしていない)。もう少し広い場所が欲しいけれど、寝食を削ってまで欲しいものではない。一番の趣味は本を読むことだけど、ほかの趣味をもう少し、まじめに取り組んでもいいような気がした。そう思えたことも、とてもいい本だった。一気に読んだので誤解している点があるかもしれない。すごく丁寧に書いてあったので、飛ばさなければ理解できるはず。次はゆっくりと読もう。これから何回も読むとおもう。
巨大生物解剖図鑑
- 作者: デイヴィッド・デュガン,窪寺恒己,田島木綿子,冨田幸光,森健人,吉川夏彦,五十嵐涼子
- 出版社/メーカー: スペースシャワーネットワーク
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- メディア: 大型本
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本好きの下剋上 香月美夜
本が好きでたまらない主人公が異世界に生まれ変わるけど、その世界では本は貴重品であり、裕福ではない家に生まれた主人公に本を読む機会はほとんどない。ないならば作ろうではないか、という話。魔法がある世界で、主人公は多くの魔力を所有しているのだけど、それによる負荷や魔法でできることのバランスが良い。
生まれ変わりは実際にはあり得ないのだけど、あったらどうふるまうかを想像するのは面白いかもしれない。特殊な力が備わっていないとして、知識だけで何とかなるか想像するのだけれど、想像の中ですらうまくいかない。何も知らないし、できないものだ。本作の主人公は、本を無差別に読んでいる一方、母親の趣味に付き合って多くの手作業をこなしていた。あり得ないことではないけれど、この主人公がすさまじいのはそれらのほとんどをしっかりと理解して記憶していることだ。数回作っただけの石鹸を、材料の入手が困難な状況で作れるひとがどれだけいるだろうか。使われている材料や、その由来を把握し、原理を理解してようやく作ることができるのだ。原材料の作成にかかわる部分では、雰囲気で指定したことをかなえてくれる魔法もなければ、都合よく足りない知識を補充してくれる賢者もいない。その世界にあるもので、こちらの知識を生かして作るのだ。それがどれほどの困難であることか。
もともとウェブ小説であったこともあって、物語が駆け足で進むのではなく、少しずつ状況が変わっていく。巻が進むにつれ、少し話の展開が早くなっている部分は否めないけれど(商業的な理由だと思う)、それでも一気に世界が変わるようなことはない。登場人物も増え、名前が覚えられるか不安だったけれど、今のところ大丈夫だ。少し話を読み進めれば思い出せるのは、脇役も生き生きと描かれていて、少しずつ個性が示されているからだ。
うまいな、と思ったのは特許の無い世界で、使用権を魔法で縛れると決めてある点だ。いままで読んだ中では、自分の好きなものが広まればいい、とあまり特許権を意識していないものや、塩のように国家が専売にしてしまうものがあったけど、きっちり個人が回収する仕組みを見た記憶はない。前者は、文明の進んだ国から来た主人公が、後進に与えている感じがするときもある。娯楽小説の中でくらい、苦労せずにいい目を見たいと思う気分も否定はできない。スマートホンを持って行ったり、現実社会と行き来できるような作品は合わないので読まない(何作か途中まで読んだことはあるけど、もう読まないだろう)。あまり複雑な仕組みにせずに、知識を力と変えることができるのは仕組みとして面白い。魔法を使えるのが貴族のみであることを考えると、イメージとしては国家の専売に近いかもしれないけれど、個人が権利を持つ点は大きい。
基本的に、裕福でない側の登場人物の頭がいいというか、ほとんどが理性的だ。利を示せば、彼らの生活様式で不快とされることを受け入れることもやぶさかではない。理不尽な世界に憤る余裕がないだけかもしれないし、歯向かう性格の人間は、楯突いた時点で殺されてしまうのかもしれない。主人公は、その世界には無い知識を使って成り上がっているけれど、なかなかに階級の壁は厚い。この世界で商人として成功しても、裕福な平民であって、階級を超えてはいないように見える。階級を超えるためには、魔力が必要であり、魔力があっても、通常は大したものではなく、強い力があっても制御できなければ死んでしまう(制御するためには高価な器具が必要だから)。この仕組みもうまくできている。簡単に階級を超えられないようになっている。
主人公は、お金さえあれば成り上がる必要もないと考えているようだが、そううまくはいかない。これまでの成り上がりに、生きていくためにはそうせざるを得ない必然性が感じられる。上流階級では上流階級なりの苦労があり、簡単に乗り越えていない点もいい。第1巻の分のプロットを持って行っても、出版にはつながらなかったのではないだろうか。その時点で面白さを理解できる編集者はほとんどいないのではないかとおもう。面白さがわかるまで時間がかかるような作品を拾い上げている点は「小説家になろう」の功績だ。どのあたりまで描くつもりなのかはわからないけれど、大人になった主人公(ちなみに結婚する相手として予想しているのは何でもできる彼だ。しばし眠りにつきそうな気がする)が書籍の母と呼ばれるようになった(知恵の神は行き過ぎか)、ぐらいまで書いてくれることを期待する。
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第四部「貴族院の自称図書委員II」
- 作者: 香月美夜
- 出版社/メーカー: TOブックス
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