[読了] 嘘の木 フランシス・ハーディング

 

嘘の木

嘘の木

 

 

なんとなく紹介される本をたどっていって、たまにはジュブナイルを読んでみようと思ったので購入。最近本屋さんをめぐることも少なくなってしまったので、何か別のパターンで本を見つける方法を試しているところ。でも、実際には好みの傾向をたどっているだけかもしれない。

嘘の木のシステムとして、木に認証される必要がある点が不可解であり、面白い。そこいらじゅうの嘘を拾ってしまってはどうしようもないし、その周囲にある真実もかすんでしまうだろう。過剰に残酷な場面があるでもなし、ジュブナイルとしては良いのではないかと思う。ただし、フィクションでの残酷さに慣れてしまっている可能性は否めない。

幼いころ、よく嘘をつく友人がいた。知り合った当初は騙されていたけれど、いくつか話を聞くと、本当の話が少ないことに気が付く。嘘が多いというよりも、誇張しているのだ。話が面白いので、聞くだけならまあいいかと思っていたのだけど、こちらが軽い失敗話をしたらかなり拡張されて広まっているのに驚いた。なるほど、これがデマが広まる仕組みなのかと幼いながらに思ったもので、次第にこちらの話をしなくなり、向こうの話を他者にすることもなくなり、関係は薄れていった。子供のころの話ではあるけれど、大人になった今でもこういう人は存在する。さすがに程度がましにはなっていて、たまに半額シールが貼られた総菜を買っていたら、半額になるのを待って買い占めていると言いふらされたりするぐらいだ。興味深い点は、実際にあった人は言いふらした人ではない点だ。つまり、話を盛ったのは、買い物をしているときにあった人である可能性もある。ただ、言いふらす人はいつも同じなのでその可能性は低いような気がする。彼らは、特に害はないけれど、内心での信用度が下がっているので、その人に対して話す内容を選択するようになる。どちらがメインなのかはわからないけれど、ほかの件もあるので、どちらも警戒して損はない。話を誇張したり、誇張して広めてしまう人は、どういう思いなのだろう。面白ければいい、と考えているのか、話を誇張しないと聞いてもらえないと思っているのか。あまり話さなくても平気なほうなので、そういう人からは距離を置く。すると偏屈ものとして話が広まったりすることもあるけれど、しばらくしたらそう言ったうわさはなくなる。特に偏屈ものとしての活動はしていないからだとおもう。

ツイッター(だけではないが)が広まったことで、簡単に嘘をついてそれを広めることができるようになった。新しいアカウントを作って、デマがばれたら削除できる。都合のいい情報をまとめて、世間の意向だと示すこともできる。こういったツールができると、しばらくは騙される人もおおいし、実際にうのみにしそうになったこともある。今では、作者が自分の宣伝をするとか以外は原則信用しない。災害時のツールだともてはやされている一面もあるけれど、現実的には、緊急時に個人アカウントのツイッターを情報源とするのは危険だと思う。ここぞとばかりにデマを広げる人がいるだろうし、そのための準備をしていてもおかしくないからだ。公的アカウントを信じればいい、と考えてしまうけど、それっぽい名前を作るかもしれないので注意は必要だ。過去のツイートをたどればある程度本物かどうかはわかるかもしれないけど、緊急時にそれをする余裕がある自信はない。だから、よほど藁にも縋りたい状態でなければ、個人でも発信できるツールについては信用しない。SNSを活用している人は、普段の交流の中で信用できる人を見つけているのかもしれないし、すべての個人の発信を否定はしない。wwwができたばかりのころは、発信できる人がある程度限られていたため、それらの情報の信頼性も高かった。大勢が発信するようになり、ほとんど役に立たない情報が多くなって、信頼できる人を探す必要が出てきた。若者たちは、YouTuberなどを信用しているのかもしれない。自分で考えて、信用できる人を選べばいいかもしれないけど、信用できる人が信用する人は、必ずしも信用できるとは限らない。とにかくうのみにしないことが大切だと思う。これから先、終戦のころにあったような大きな嘘は現れるだろうか。

少し前までは、プログラム上の小さな嘘で大きくだます、ぐらいならできるだろうと思っていた。具体的には、入金先を変えるとか、競合からこっそり外すとか。扱う額が大きいと、その程度の作業でも大きくだますことができる。ただ、だれだれの子孫とか隠し子というのは、科学技術の進展もあって、押し通すのは難しくなったようにおもう。個人のことは隠せるかもしれないけど、規模が大きくなり、公共性が増した場合、多くを隠すことは難しくなるはずだ。この先AIを生かす技術が発展したら、誤認識を利用した嘘は通じにくくなり、ルール上の盲点を突く嘘が出てくるだろう。それもいずれは淘汰されると予想される。ということで、将来については、大きな嘘はなくなり、対面での小さな嘘(嘘と書いているけれど、つまりは詐欺)が増えると思われる。