[読了]タイラーハミルトン/ ダニエルコイル、シークレットレース
もうツール・ド・フランスは半分ドーピングがばれるかばれないかのゲームが交じっている。歯が折れるまでくいしばって痛みに耐える根性はすごいと思う。転倒して骨折しながらもレースを続けることはすごいと思う。それが尊敬につながるか、というと残念ながら答えはNoだ。能力のあるアスリートは評価されるべきだ。たとえそれが生来の能力による部分が大きいとしても、そこまで伸ばすのは簡単ではないし、それを含めて尊敬する対象である。でも、ドーピングが横行している競技で何かを成し遂げた人がいても、本当にそれはドーピングなしで行われたのだろうかとの疑惑がぬぐえない。ドーピングもありにすればいいとの意見があるかもしれないけど、それだと何が良くて何が悪いのか、限界はどこなのかを決めるルールがなければ死んでしまうし、限界を決めたらたぶんばれないようにそれを超える技術が磨かれるだろう。一旦ドーピングを認めてしまうと、どこまで死の恐怖に耐えられるかのチキンレースになってしまう。そんな競技は見たくないので、ドーピングもありではないか論には反対だ。これまでのレースの勝者がすべて否定されるべきかというと、それはわからない。でも、当人がどれだけ否定しても信じることは難しいし、疑惑はずっと残るだろう。Aという薬と、Bという薬を使っていましたと告白した人がいて、そこまで告白したのだからCの薬は使っていないだろうと考える人はあまりいないだろう。そこまで他人を疑うのもいかがなものかとは思うけど、真剣勝負で信頼を失うということは、そのくらい大きなことだ。アームストロングの件は、ドーピングが発覚したらこれまでの経歴が完全にアウトだということを示した功績はある。それでもばれなければよい、だましきれる、と考える人もいるだろうし、クリーンな状態で挑む人もいるだろう。数十年後には、全員がクリーンな状態で挑むことが当たり前になっていればいいな、と思う。
自転車にそこまで熱中しているわけではないけど、漫画で言うと弱虫ペダルとかかもめチャンスは面白いし、小説でも近藤史恵さんとか川西蘭さんの小説は好きだ。アームストロングの自伝も読んだし(読んだときは感動した。基本的には読んだ本は手放してしまうのだけど、手元においていたことで感動度合いが少し伝えられるかもしれない)、今回のこの本も読んだ。その程度の興味はある人間なのだけど、もうまっさらな気持ちで自転車レースのニュースを見ることはできない。いずれ、ドーピングのないレースになるかもしれない。そう願うばかりだ。その場合、競輪選手みたいに一カ所に閉じ込められたりするのかな。
ドーピングの告発以外で、この本が面白かったのは、ヘマトクリット値が結果に反映される点だ。パワーが○%上がるとか、元の値が低い選手の方が伸び率が大きいとか、見た目に超人的な走りができるとか。効くかもしれないし効かないかもしれない、ではなくて、効きすぎに注意すれば確実に効果が見られるという点が、面白い。人間も、複雑な部分はあるにしろ、一定の仕組みで動いているのだなあと(生き物の仕組みに)感心した。データが残っているのかどうかはわからないけど、もし有効利用できるなら、人類の限界点などが見えてくるかもしれない。
さて、表には出せないけれど科学的なデータもあれば、表に出てきたものの科学的ではないデータもある。今話題になっているSTAP細胞について、どういう印象を受けたかメモとして残しておこう。多くの人が述べているように、あれは科学ではない。一人の女性が、ある教授の仮説にのっとって、話を支持するために証拠らしきものをかき集めたものが、意外とばれないで先に進んでしまったのだろう。今現在一番割を食ったのは、共同研究者ではないかと思う。共同研究者の持ってきた細胞なんて、信じるしかないのではないか。実験ノートにしても、そんなものあって当然なので、疑ってかかるひとっているのだろうか。TVでは、京都大学では定期的に台三者が内容を確認すると言っていたけど、それを「きっちりと」実施している施設がどれほどあるのかと思う。ノートがあれば全て真実だというわけでもないのだし、精査するにはもしかしたら実験そのものよりも時間が必要かもしれないからだ。お金に余裕があるのなら、専門のチェック担当者を置くのもいいかもしれない。現実には、ほぼ信じるしかない。怪しい人とは手を組まない、としたいところだけど、一定数怪しい人はいるのだろう。騙されないぞ、と言い切れる人はかなりすごいか、何もわかっていないかだ。
よくわからないのは、本当にばれないと思ったのか、そのあとどうするつもりだったのか。本人は再現性があると言っているけど、おそらく間違ったことを何度も再現しているか、再現性の意味を理解していないかだろう。その人だけで完結してしまう研究があるとしたら、不正を行ってもばれることはないかもしれない。誰もが飛びつくような、すばらしいアイデアを表に出せば、多くがそれに挑戦することは想像できるはずだ。でも、誰も同じことができないとなると、自分だけができる何かを隠しているか、神業的な技術があるかだ。前者は、論文になっていないとされるだろうし。後者はあるかもしれないけど、今回は簡単にできるのが売りの一つだったのでありえない話だ。本当にわからない。どうするつもりだったのだろう。最近の会見では、STAP細胞の作製に200回以上成功したという。(細胞を作るだけなら)3回ぐらいは再現性を見るために必要な実験として、何度もしたというので30回は再現実験としても(する必要はないけど)、後の170回は何をしたのか。ちょっとやそっとでは追いつかれないように、先に進めるための実験をしたというのかもしれない。それだけの実験が進んでいたなら、何かしらのサンプルが残っていそうなものだけど、たぶんないだろう。200回というのも、ちょっと大きい数字を発言しようとしたものの、現実にどの程度の時間や費用が必要かを把握できていないため、ありえない数字となってしまったように思える。著名人でも、頑張っているとかけなげとか一生懸命とか、内容に関係のないところにコメントしている人は、何を思ってそんなことを言っているのだろう、と書いては見たものの、ここと同じで、感想を述べただけか。200回UFOを見たという人が、UFOの合成写真を持ってきて、私は見たんですUFOはいるんですと一生懸命言って来たら信じるのかな。
ただ、-100からでも頑張りたいという姿勢が本当なら、そこは評価できる点だ。もし完全にアウトになってからだったら、少なくとも10年はゼロに到達しないだろう。でも、それを乗り越えられるというのなら、実験自体は根気よくしていたようだし、プレゼンテーションも上手なのだろうから、良いテーマに巡り合えたら大成するかもしれない。もし本当だったらどうするのだ、とのコメントも時折見るけど、本当だったらって何がだろうか。刺激で万能性を得ることだろうか。それなら、仮説の出し方がこれまでにない形(ネイチャーを使った宣伝)であったというだけで、その「本当」を実験結果とともに、理論立てて示した人が評価されるべきだろう。その人が当人であっても問題はない。それ以外に本当だったら、というのを思いつかない。これから大変なのは理研の関係者で、理研に与えたダメージは尋常なものではない。もともと再生の研究をしていた人はこのプロトコルというかメカニズムには興味がないのだろうなあ。あと、誰にでも再現できるiPS細胞のすごさを改めて感じました。以上。
- 作者: タイラーハミルトン,ダニエルコイル,Tyler Hamilton,Daniel Coyle,児島修
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/05/08
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[読了]細音啓 氷結鏡界のエデン/黄昏色の詠使い
ファンタジィの世界について、舞台となる世界の設定を良く考えてから話を作っているパターンと、勢いで書きながら設定を追加するパターンがある。完全に世界を作り上げてしまうと、広がりがなくなったり、穴が見つかった時にもろくなったり、設定を考えるだけで力尽きたり満足したりするかもしれないし、読者の想像する余地が少なくなる(設定を全部書くことはまずないだろうけど)。後者の場合、矛盾点が出てきたり、無理やりだったりする。どちらが良いかと一概には言えないのだけど、ある程度は考えておかないと、適当さというのは見透かされるものだ。ただし、もともとわからないのだから、その世界でも謎である、というのはよく使われる手法のひとつだ。SFではなく、ファンタジィなのだからそれでよいとおもう。でもまあ、よく考えてあるほうが好感が持てる。
さて、前置きが長くなったけれど、細音啓の描く世界でも、良くわからないことは多い。ただ、彼(彼女?)は、自分なりに新しく作った言葉を核として置いてあるのが、個人的にはとても好ましい。言語を作ったと言っても、既存のアルファベットを用いた言語であり、ある種のパズル的なものであって、それを解くことも読者の楽しみの一つになっている。ナメック語とかフルアヘッドココのファルコン文字みたいに、日本語に当てはめた文字を作ったり、ローマ字にあてはまる文字を作ったりするのも、同じ方向性だと思う。ここで、出し方がちょうどいいなと思うのは、この世界で普段使用している言語についてはほとんど触れていないという点だ。おそらく、主人公たちが歌う歌は、この世界ではさほど奇矯なものではない。日本人が日本語の歌を聴くようなものなのだろう。もちろん、(書く労力と読む困難さを無視すれば)全部その言語で書くことも可能なのだろうけど、あまり意味はないし、歌だけにしたほうが特別感があって良い。本当は、歌自体は誰でも歌うことができるのであって、歌に込められた力が大事なのだろう。どうやって歌に力を込めるとかは記載していなかったはず。その辺はブラックボックスでちょうどいい。
ある程度現実味を持って想像できる設定としては、武器の設定が少し気になる。彼らが使用する刀は、いろんなものをずばずは切ることができる割には、研ぎに出すこともないし、欠けることもない。毎日毎日特訓をしている描写はあるけど、ほとんど武器の手入れはない。まあ、時折イリスが不思議な力で整備している描写はあったような気がするけど。機械の手入れについては時折触れているので、刀自体についてあまり描写がないところが少し気になる点ではある。大剣とか、特殊な武器が多いと、代わりはないはずなのに、刀のゆがみとか弓矢の精度とか、どうやって管理しているのかがわからない。ほんの少し、優秀な研ぎ師を見つけたとか、そっち方面の達人も出てくるといいのにな、と感じることは、この作品に限らずある。無限の住人の万次は、あの不思議な武器をちゃんと研ぎに出していたけど、珍しいので印象に残っているのかもしれない。小説ならもっと簡単にその辺を描写できるのではないだろうか。
この作者で一番好きなところは、端役にも比較的活躍する場面が多いことと、端役自体が少ないところだ。かつての好敵手が同時に戦っており、それぞれの戦局が重要である、という場面は、今の若い子にはどう映るのかなと思う時もあるけど、個人的には燃える場面だ。
もともと才能がある人たちが、更に先を求めて努力しているのもいい。氷結〜では、志半ばに道をあきらめた少女が登場する(とはいってもまだまだ若いし、そもそものポテンシャルはかなり高いので、挫折というと言い過ぎかもしれないけど、何が壁になるかは人それぞれであって、彼女にとってはこの世の終わりに等しい衝撃だったのかもしれないし、軽んじることはできない)。一生懸命何かに挑戦した場合、何かに届かなかったとしても、燃え尽きることができたと満足できるのだろうか。美しく書けばその通りだし、もう少し実生活に即した感想を書くと、必ずしもそうではない。1.5流でもなんでも、トップに届くようなレベルであればそういう感想も出てくるかもしれないけど、どう頑張っても2流であった場合(要するに自分なのだけど)、むなしさを感じずにはいられない。無駄だったと思いたくはないけど、ちょっと才能のある人なら比較的すぐにいたるレベルでとどまっていて、それを努力が足りないと責められるのは少しつらい(口には出さないけど)。歴史に名の残るレベルが超一流として、そのそばにいられるのが一流、それ以外は二流三流だとすると、二流にすら至っていない。正直に書けば、燃え尽きるほどの努力をしたとは言い切れなくて、せいぜい一時的な努力だ。でも、興味があると選んできた道で、それでも何も届かないと自覚してなお努力できるのは、それはもう一つの才能だと思う。もういっぱいいっぱいだ。とまあ、自分の小ささを考えると必ずしもそうは言えない部分は多々あるものの、物語としては、何かに躓いたとしてもほかの道があるというのは素敵なことだ。
キャラクタの特徴として、ほぼ全員が自分の苦労を見せたがらない。敵もそうだし、機械(神性機関)であるイリスですらそうだ。苦労を苦労と思わない姿勢が格好いいのか、と問われると、格好いいではないか、と答えるだろう。とはいっても、だれもが何かしらの形で苦労している姿を見られたり知られたりしているのも、ちょっといい。基本的には人知れず努力していたとしても、だれかが知っていてくれるかもしれないというのは少し力になるものだ。陰で努力している私、と格好をつけたいわけではなくて、だれにも知られずに結果も出せずに、この努力は本当に無駄だったのかと思いたくない。
この作品は、とても幸せな作品だと担当者が言っていたらしい。確かに、全巻買っているのだけど、特別盛り上がっているわけでもない(2チャンネルとかはどうなのか知らないけど)割には近所の小さな本屋さんにも必ずある程度の数が入荷している。あまり、他人の感想を積極的に読まないこともあるけど、どういった層に人気があるのかもよくわからない。言葉を読み解こうとしているサイトがあったかな。一つ言えるのは、この作品はとても好きで、続巻が読めることはうれしい限りだということ。幸運と言えば、最初のイラストと作品がかなりばっちりあっていたことも幸運だったのではないか。今の作品のイラストは、これはこれであっていると思うけど、「黄昏色の〜」のキャラクタというか世界観と竹岡美穂のイラストの組み合わせは最高だった(言い過ぎか)。1巻だけないのがさみしい。うっかり処分してしまったのかもしれない。読み返すことは最近あまりないので、完結したら手放してしまうかもしれないけど、今は手元にあってほしかった。
次回作の構想もできているようで、楽しみだ。同じ世界観の、別の時代なのか、全く別の新作なのか。
氷結鏡界のエデン12 浮遊大陸-オービエ・クレア- (富士見ファンタジア文庫)
- 作者: 細音啓,カスカベアキラ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/富士見書房
- 発売日: 2013/12/20
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[読了]高田大介 図書館の魔女
- 作者: 高田大介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/08/09
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- 作者: 高田大介
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これは言葉の強さを示す物語だ。実際には、奇跡のようなバランスで成し遂げられているが、主人公をはじめとする登場人物の魅力に、こんなこともあるかもしれないと思える。そう、何しろ登場人物がとても良い。舞台も良かったけど、それぞれの人物造形がしっかりしているというか、対して紙面を割かれていない人物でも、背景や人物像が想像できる(ような気になれる)。
こんなに面白いとは期待していなかったけど、入手してからの数日間、帰宅するのが楽しみになった。つまらない人生が、少し楽しくなった。こんなことがあるから、たまに、生きているのもいいものだと思ってしまう。何故か、アマゾンでは取り扱っていないようだけど、本が少し割れてしまうからだろうか。イラストがなかったので、個人個人の顔を想像することができても、服装とか、装飾とか細工の細部まで見られるようなイラストがほしい。皇名月の絵で見たい。
伊藤総 生きる技術は名作に学べ
- 作者: 伊藤聡
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2010/01/19
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本書では、古典の名作と呼ばれる作品について伊藤総さんが語る。大雑把な内容は知っているものの、本文にもあるように、これは、読書感想の課題になっていたり、どこかでパロディをみたりしているからだろう。若いころから本は趣味として楽しんでいたが、どうも翻訳された文章が苦手で、いわゆる名作を読んでいない。名作を読み込めるのは若いころの特権、と本文にありった。自由になる時間が多いのは確かにそうだけど、大人になっても時間があるひともいるわけで(ここに)、時間が理由というよりも、感受性の問題かな、とおもう。世間ずれしないうちに触れた方がいいものはきっとあるのでしょう。ちなみに小中学生のころはホームズの子供向けの本とか、ライトノベルの走りのような、ソノラマ文庫を読んでいた。それはそれで楽しかったのですが、大人になってから振り返ると、もっと身を削るような作品(よくわからない表現ですが)を読んでいてもよかったかな、ともおもう。
浅井ラボ されど罪人は竜と踊る
- 作者: 浅井ラボ,宮城
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2011/06/17
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されど罪人は竜と踊る〈0.5〉At That Time the Sky was Higher (ガガガ文庫)
- 作者: 浅井ラボ,宮城
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/09/19
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されど罪人は竜と踊る〈0.5〉At That Time the Sky was Higher (ガガガ文庫)
- 作者: 浅井ラボ,宮城
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されど罪人は竜と踊る〈12〉The One I Want (ガガガ文庫)
- 作者: 浅井ラボ,宮城
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/04/18
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それはさておき、その後はガガガ文庫で順調に刊行している。ときどき、術の説明で引っかかるところはあるけれど、たぶん知識がついていっていない(読む側の)だけでしょう。ガガガ文庫での最初の数冊は再刊だとの話だったから購入していなくて、どうやって術を出すのかとか少し忘れかけていたので読み始めは少し読み進めるのに時間がかかった。
テンポよく話が進むので飽きる暇はない。ひとり倒したと思えばもうひとり、と次々に敵が現れるのだけど、こんなペースでこのレベルの敵が出てきたら今後大変だろうなあ、とおもう。
物語なので伏線が有るというか、かなり先の先まで読む人が登場する。その人の事を圧倒的な知性と物語中では表現しているけれど、果たしてここまで先読みすることができるのか。できるひとがいたらそれはもう、世界の覇者と呼んでもかまわないのでは。さらにこの登場人物は星の行く末まで考えていそう。自分が死んでからのことも決めていそうだし、もしかしたら死なないような工夫もすでにしているかも。たぶん、実際は不確定要素が多すぎてそこまでの推測は難しい。抽象的な未来予想はできるとしても、有る時点でその場所にいるに違いないというレベルでの未来予想は、先になればなるほど誤差が大きくなるし、そこまで具体的な予想が当たるとはおもえない。考えられる事柄のうち、いくつかの大き目の事象に布石を打っておき、あとからそれらしく見せるのが精一杯だろう。作中ではかなりの天才振りを発揮している、この人物像を見て思い出すのが真賀田四季。舞台となる世界が違うことと、積極的に世界にかかわろうとするかどうかという点を除けば非常に近いの印象。この作品は、単純に「敵がいました」「やっつけました」おしまい、ではないところがすきだ。パンハイマは、ひどい性格なのだけど、作中では光っているキャラクタだ。登場人物が多いので、続きを読んだ時にさっと名前と繋がらないキャラクタも多いのだけど、パンハイマはもう覚えた。今、一部完、とのところまで読んだけど、あんなことになろうとは。付き人に関しては、ちょっと想像していたけど、すごいなあ。面白い。
山本弘 アイの物語
- 作者: 山本弘
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それで終わりにしてもいいのだけど、少しだけ。この本の中で、すべてのヒトは認知症、との言葉が出てくる。それは、確かにそうかも知れないのだけど、それでおわりにして良いものか。論理的な思考ができる、論理的な思考しかできないといってもいいAIたちの導き出すこたえはすばらしい。どうしてヒトにはそれができないのだろうなんておもってしまうほどだ。でも、論理的に突き詰めていくと、100人助かる方法と99人助かる方法があれば、迷いなくを選んでしまう。ヒトだったら、自分の身近なヒトを助けたいと考えることの方が多いでしょう。ここまでぎりぎりならわかりませんが、確実に1億人が多く助かる道が会ったとして、自分ならどうするか、など考えるのはおもしろい。どうするべきか、とどのように行動してしまうかを考える。実際にはそんな決定権を持つ舞台に上がることはないし、ただの思考に過ぎないのですが、自分が捨てられる側に立っても、捨てる側で判断したことと同じことができるのか、とかを考えるのもおもしろい。こうやっていろいろと考えて、ある種の物語にできる人が作家となるのかもしれません。
ああ、まとまりのない文章だ。とにかく、少しでもAIや近未来に興味をもっている人なら、おもしろく読める作品だとおもいます。
[アニメ][感想]電脳コイル
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電脳コイルでは、電脳世界にどっぷりとはまり込んでいる大人は少ない。技術者はほとんど出てこないし(概念的な説明しかされない。技術をハードSFのように説明したいわけではないのでそれは当然ではある)、使いこなせる大人はほとんどが関係者だ。そういえば、イサコがどこで暗号屋の技術を学んだかって出てきたかな?とにかく、メガネを使いこなせるのはごく一部のみだ。あまり、その理由は語られていない(とおもう)。それは、舞台設定よりも人間の関係に重みを置いたからだろう。
主人公は小学6年生の少女、優子(ヤサコ)と勇子(イサコ)だけど、基本的にはヤサコに焦点が当たっている。ヤサコは良い子に見えるけど、自分勝手な部分もある。完璧でないところがいい、と言えばいい。よくいる小学6年の女子の造形だ。これが女子高生が主人公とかだと、現実には画一的な性格になってしまいがちだし、いろんな性格の子がいることに改めて理由づけしないといけなくなるかもしれないけど、小学6年ぐらいだったら成長が速い子、遅い子、おしゃれに関心がある子、ない子がいてもあまり不自然ではない。いろんな子がいるといっても、仲良しグループには似た子が多い。メガネを持っている子はメガネを持っている子どうして仲良くなっていて、生物部のアイコも仲がいいのだけど、やはりメガネを使って電脳空間でコミュニケーションをとっている仲間とは違う感じだ。少し子供っぽい少女、フミエはあまり周囲との垣根を意識していない。何かあったとしても、根に持たずに、たとえば、素直に謝れは謝罪を受け入れる度量の広さがある。これがヤサコだったら、本当かなあと疑い続けそうな場合でも、さっぱりしたものだ。ヤサコとフミエはすぐに仲良くなったけど、それはヤサコがメガ婆の孫だからであることは大きそうだ。ただのどんくさい女の子だったらここまで親密になっただろうか。なったかもしれないけど、それはアイコとの関係のように、仲は良いけど学校でだけのお付き合い、で終わりそう。男子はちょっと典型的すぎる悪がきが多い。いまどきの小学六年生も、男女ともにだけど、素直になれないものなのだろうか。大人になっても素直になれていない部分が多々あるので、年齢ではなく個人のキャラクタなのでは、とも思う。長々と書いたものの、あとの舞台設定やキャラクタ紹介はWikipediaにでも任せるとして、感想に入ろう。
上にも少し書いたのだけど、対象年齢はどのくらいなのだろうか。やはり小学校6年生前後なのかな。年齢はともかく、喪失のつらさを知っているはイサコに感情移入してしまうかもしれない。物語は全体的に閉じていて、ほとんど限られた空間、メンバーの物語だ。そのため、知り合いの知り合いが、もともと知っている人だったりする。終盤は特に、予想もできたのだけど、あれもこれもつながっていて、伏線というよりはご都合主義に感じる部分も多い。でも、それは、(悪く言えば)あら捜しというか、気になった部分を思い返すとそうなのだ、というだけで、見事に伏線を回収したともいえる。話自体は面白かった。そうでなかったらいくら暇を持て余しているとは言っても26話も見ないだろう。キャラクタの中で、気になるのはデンパだ。彼がイリーガルと仲良くなる話がある。彼はとても優しい。人を傷つけたくないのだろう。それはとても正しいけど、なんというか、危うさを感じた。本来人を傷つけるもの(イリーガル)が、弱っているからと言って同情することは、だれのためになることなのか。その優しさは好ましいし、ずっと持ち続けてほしい要素ではあるけれど、たとえばマフィアが困っているからと言って手を差し伸べてしまうのは、是なのだろうか。人同士だと、それでも分かり合うことは難しくても、何とか思いが伝わることがあるかもしれない。それにしたってあまり期待できないのが現実だ。あー、話がそれているなあ。なんというか、デンパの優しさは他者に付け込まれるタイプの優しさなのではないか、とちょっと心配だったのだ、という話。こういう優しさは好きなのだけど、あまり自分では持てないタイプなので、少し気にかかったのだとおもう。
物語の終幕では、メガネを作った会社などが登場したけど、本当はもっと企業が関与したドロドロした面がありそうだ。アニメでそれを描く必要はないとはおもうけど、子供向けとするならばもっと明確な敵があってもよかったかもしれない。あと、いじめられていたと感じていたほうがいじめていた、みたいな立場による認識の違いが描かれていたけど、そこまでずれることってあるだろうか。いじめていた側がいじめていた自覚がない場合はあるだろう、とおもうけど、それがお互いなんてことがあるだろうか。それはどうでもいい、と言い切ってしまうには大事なことのような気がする。ヤサコは、いじめられていた割にはイサコ以外に見抜かれないほど元気に学校で過ごしているし、どちらかと言えば、ヤサコのほうが知らず知らずかもしれないけど、いじめていたほうなのではないか。いじめ良くない、のは当然だとしても、お互いが離れることで、縛りあっていた憑き物が取れるのなら、結果オーライだとしても、良かったのではないかなあ。あちらの少女が元気に過ごしているかどうかはわからないけど。
細かいところに気を配っているのが感じられて、とても感じのいい作品だったし、面白かった。