[読了]タイラーハミルトン/ ダニエルコイル、シークレットレース

もうツール・ド・フランスは半分ドーピングがばれるかばれないかのゲームが交じっている。歯が折れるまでくいしばって痛みに耐える根性はすごいと思う。転倒して骨折しながらもレースを続けることはすごいと思う。それが尊敬につながるか、というと残念ながら答えはNoだ。能力のあるアスリートは評価されるべきだ。たとえそれが生来の能力による部分が大きいとしても、そこまで伸ばすのは簡単ではないし、それを含めて尊敬する対象である。でも、ドーピングが横行している競技で何かを成し遂げた人がいても、本当にそれはドーピングなしで行われたのだろうかとの疑惑がぬぐえない。ドーピングもありにすればいいとの意見があるかもしれないけど、それだと何が良くて何が悪いのか、限界はどこなのかを決めるルールがなければ死んでしまうし、限界を決めたらたぶんばれないようにそれを超える技術が磨かれるだろう。一旦ドーピングを認めてしまうと、どこまで死の恐怖に耐えられるかのチキンレースになってしまう。そんな競技は見たくないので、ドーピングもありではないか論には反対だ。これまでのレースの勝者がすべて否定されるべきかというと、それはわからない。でも、当人がどれだけ否定しても信じることは難しいし、疑惑はずっと残るだろう。Aという薬と、Bという薬を使っていましたと告白した人がいて、そこまで告白したのだからCの薬は使っていないだろうと考える人はあまりいないだろう。そこまで他人を疑うのもいかがなものかとは思うけど、真剣勝負で信頼を失うということは、そのくらい大きなことだ。アームストロングの件は、ドーピングが発覚したらこれまでの経歴が完全にアウトだということを示した功績はある。それでもばれなければよい、だましきれる、と考える人もいるだろうし、クリーンな状態で挑む人もいるだろう。数十年後には、全員がクリーンな状態で挑むことが当たり前になっていればいいな、と思う。
自転車にそこまで熱中しているわけではないけど、漫画で言うと弱虫ペダルとかかもめチャンスは面白いし、小説でも近藤史恵さんとか川西蘭さんの小説は好きだ。アームストロングの自伝も読んだし(読んだときは感動した。基本的には読んだ本は手放してしまうのだけど、手元においていたことで感動度合いが少し伝えられるかもしれない)、今回のこの本も読んだ。その程度の興味はある人間なのだけど、もうまっさらな気持ちで自転車レースのニュースを見ることはできない。いずれ、ドーピングのないレースになるかもしれない。そう願うばかりだ。その場合、競輪選手みたいに一カ所に閉じ込められたりするのかな。
ドーピングの告発以外で、この本が面白かったのは、ヘマトクリット値が結果に反映される点だ。パワーが○%上がるとか、元の値が低い選手の方が伸び率が大きいとか、見た目に超人的な走りができるとか。効くかもしれないし効かないかもしれない、ではなくて、効きすぎに注意すれば確実に効果が見られるという点が、面白い。人間も、複雑な部分はあるにしろ、一定の仕組みで動いているのだなあと(生き物の仕組みに)感心した。データが残っているのかどうかはわからないけど、もし有効利用できるなら、人類の限界点などが見えてくるかもしれない。
さて、表には出せないけれど科学的なデータもあれば、表に出てきたものの科学的ではないデータもある。今話題になっているSTAP細胞について、どういう印象を受けたかメモとして残しておこう。多くの人が述べているように、あれは科学ではない。一人の女性が、ある教授の仮説にのっとって、話を支持するために証拠らしきものをかき集めたものが、意外とばれないで先に進んでしまったのだろう。今現在一番割を食ったのは、共同研究者ではないかと思う。共同研究者の持ってきた細胞なんて、信じるしかないのではないか。実験ノートにしても、そんなものあって当然なので、疑ってかかるひとっているのだろうか。TVでは、京都大学では定期的に台三者が内容を確認すると言っていたけど、それを「きっちりと」実施している施設がどれほどあるのかと思う。ノートがあれば全て真実だというわけでもないのだし、精査するにはもしかしたら実験そのものよりも時間が必要かもしれないからだ。お金に余裕があるのなら、専門のチェック担当者を置くのもいいかもしれない。現実には、ほぼ信じるしかない。怪しい人とは手を組まない、としたいところだけど、一定数怪しい人はいるのだろう。騙されないぞ、と言い切れる人はかなりすごいか、何もわかっていないかだ。
よくわからないのは、本当にばれないと思ったのか、そのあとどうするつもりだったのか。本人は再現性があると言っているけど、おそらく間違ったことを何度も再現しているか、再現性の意味を理解していないかだろう。その人だけで完結してしまう研究があるとしたら、不正を行ってもばれることはないかもしれない。誰もが飛びつくような、すばらしいアイデアを表に出せば、多くがそれに挑戦することは想像できるはずだ。でも、誰も同じことができないとなると、自分だけができる何かを隠しているか、神業的な技術があるかだ。前者は、論文になっていないとされるだろうし。後者はあるかもしれないけど、今回は簡単にできるのが売りの一つだったのでありえない話だ。本当にわからない。どうするつもりだったのだろう。最近の会見では、STAP細胞の作製に200回以上成功したという。(細胞を作るだけなら)3回ぐらいは再現性を見るために必要な実験として、何度もしたというので30回は再現実験としても(する必要はないけど)、後の170回は何をしたのか。ちょっとやそっとでは追いつかれないように、先に進めるための実験をしたというのかもしれない。それだけの実験が進んでいたなら、何かしらのサンプルが残っていそうなものだけど、たぶんないだろう。200回というのも、ちょっと大きい数字を発言しようとしたものの、現実にどの程度の時間や費用が必要かを把握できていないため、ありえない数字となってしまったように思える。著名人でも、頑張っているとかけなげとか一生懸命とか、内容に関係のないところにコメントしている人は、何を思ってそんなことを言っているのだろう、と書いては見たものの、ここと同じで、感想を述べただけか。200回UFOを見たという人が、UFOの合成写真を持ってきて、私は見たんですUFOはいるんですと一生懸命言って来たら信じるのかな。
ただ、-100からでも頑張りたいという姿勢が本当なら、そこは評価できる点だ。もし完全にアウトになってからだったら、少なくとも10年はゼロに到達しないだろう。でも、それを乗り越えられるというのなら、実験自体は根気よくしていたようだし、プレゼンテーションも上手なのだろうから、良いテーマに巡り合えたら大成するかもしれない。もし本当だったらどうするのだ、とのコメントも時折見るけど、本当だったらって何がだろうか。刺激で万能性を得ることだろうか。それなら、仮説の出し方がこれまでにない形(ネイチャーを使った宣伝)であったというだけで、その「本当」を実験結果とともに、理論立てて示した人が評価されるべきだろう。その人が当人であっても問題はない。それ以外に本当だったら、というのを思いつかない。これから大変なのは理研の関係者で、理研に与えたダメージは尋常なものではない。もともと再生の研究をしていた人はこのプロトコルというかメカニズムには興味がないのだろうなあ。あと、誰にでも再現できるiPS細胞のすごさを改めて感じました。以上。

シークレット・レース (小学館文庫)

シークレット・レース (小学館文庫)