古宮九時 Unnamed memory 5巻

 

この巻も面白い。ちゃんと着地するのか、と思いつつ読んだ。小説では美男美女の登場人物が出てくることが多く、作品としてはもちろん面白く読んでいるのだけれど、周辺の人物に感情移入することが多い。流れ弾に当たって死ぬ人や、強大な武器や魔法で一気に数万人が殺されたうちの一人に近い存在だと認識しているからだ。ほかの人はどういう読み方をするのだろうか。少し気になる。もし自分が主人公だったら、という読み方は今までしたことがないかもしれない。人生は自分自身が主人公だ、とはいうものの、主体は自分であっても、自分が登場する世界の主人公ではないと感じる。

歴史に名を残したい、と願う人はそこそこいるようだけど、余り何かを残したいとは思わない。何かの感想で書いたような気もするけれど、死んだあとはきれいさっぱり存在がなくなってほしい。こうやって感想を書いているのは矛盾しているのでは、とも思うけど、こんなウェブの末端にあるような感想ブログは、死んだあと数年も持って入れば上々だろう。物理的に残すものもほとんどないし、自分の写真もほとんどないはずだ。知り合いが撮った写真に写っていたとしても、ほとんど見返されることはないだろうし、そうなってしまうと消えたと同等と考えてよいだろう。

タイトルのUnnamed memoryについて考えてみよう。名前のない記憶。たいていの記憶には名前がないと思うのだけど、どういう意味なのだろう。もし機械なら、記憶に名前がついていてもおかしくはない。057022とか。でも、ヒトの場合そういう意味での名前ではないだろうから、結婚式、とか、○○との戦い、との名前を付けているのだろうか。それもまた違う気がする。やはり、記憶には名前はない。ここまで読んでも、まだタイトルの意味が理解できていないという体たらく。最終巻を読んだらわかるのだろうか。