真藤順丈 畦と銃

畦と銃

畦と銃

ミナギという架空の農村が舞台。村の英雄的存在の三喜男とその弟子の少年二人が村の悪徳業者と戦う第1部「拳銃と農夫」、ライブのために山の木々を伐採することになり、その担当となった女性が奮闘する第2部「第二次間伐戦争」、周りになじめないこどもたちが集まった牧場で、目的の見えない敵と戦う 第3部「ガウチョ防衛線」の3部で構成される。
農村で働いたことはないし、家畜といっても本当に少しだけ見学した程度しか知らない。知らない世界が舞台になっている話はおもしろいけど、どのていど本当なのだろう、なんて考えてしまう。考えてもわからないことなので、あるていどで考えるのは止めるのだけど、この作品はとても臨場感があって良かった。生きていくうえでものを食べることは避けられないことなのだけど、生き物を殺す場面など、どの程度見ておかなければいけないものなのだろう。興味本位で見学させて欲しい、といってもあちらが不愉快になるだろうし、映像でみたところでそれほどの実感はきっと得られない。以前、教室で豚を飼育して、その豚をどうするのかというテーマの作品があった。実際にあった小学校での話のようで、こどもたちはきっといろいろと考えたことだろう。考えることが重要だ、とも思える。その作品が表に出てきたとき、教育上よくないとかいいとか、周りが騒いでいたように記憶しているけど、個人的には、生き物と食について考えることは良いことだとおもう。この作品でも家畜に名前はつけないようにしている、とあった。情が入ると別れが淋しくなるのは、生き物が身近にいる異常避けられないことなのだろう。あまり関係は無いのだけど、生き物を飼ったことがほとんど無い。金魚ぐらいだろうか。それもかなり放置していた気がする。生き物を飼うことに限らなくても、もともとあるものがなくなることや、離れ離れになることに弱い。恋人がいなかった、いない言い訳には弱いかもしれないのだけど、楽しい時間があればあるほど、これが失われたとき果たして立っていられるのだろうか、と考えてしまう。たぶん大丈夫だし、何もないよりは楽しい過去があった方がいいのではないかともおもうのだけど、勇気が出ない。今は猫や犬が飼いたいと少しおもっているのだけど、仕事で部屋を空けることもあるし、その時間のことを考えると飼うことに躊躇してしまう。
それはさておき、この作品では方言が多く使われている。だから読みにくいか、というとそうでもなくて、引っ越した人が方言に慣れていくのはこんな感じかな、とおもってしまう感覚で方言を受け止めるようになる。引っ越したことは何度かあるのだけど、結局生まれ育った言葉がまったく抜けないので偉そうなことは言えないけど、子供なら当たり前にできそうなその感覚を擬似的にもできたのは楽しい。第2部では共感覚の持ち主であろう登場人物が複数現れる。自然を音楽として受け止めるウッドマンが登場して、繊細なようで荒々しく、その逆でもある。彼らそのもののようになりたいわけではないけれど、格好よく年をとることができるだろうか、と若くなくなった今、よく考える。
農業に限らず、知らないことはたくさんあるだろうし、知らないまま終わることもたくさんあるだろう。ほんの少し触れたからといって何かを知ったつもりになる気はないけれど、こんな風に楽しい作品をもっと、もっと読みたい。