うえお久光 悪魔のミカタ666

 スコーピオンデスロックの時から感想を書いていなかったみたいですが、一応読んでいました。そういえば感想は書いたのですがパソコンがちょうど停止してしまって書く気がなくなったことを思い出しました。
 一応場面は最終局面を迎えたと思っていいのでしょうか。スコルピオンデスロックの時にある程度の場面が終わった気がしていたので、次もまたタイトルが変わってもおかしくはないかな、と思いましたが666はかわらずです。イハナとサクラ、そのほか大勢の女性が登場している作品ですが、結末は決まっているのかもしれません。予想をすれば日奈が甦ることはなくて、コウは人ではない存在として道具にかかわるようになるのではないかと思います。それは何のためか、そうなってどうなるのかも一応想像はしているのですが、今ここに書くのはやめておきます。あたったからといって嬉しいものでもないですし。好きで読んでいるのでかまわないのですが、ライトノベルと呼ばれるレーベルから出版されるものは物語を楽しむものではなくてキャラクタを楽しむ作品になってしまっているなと感じます。物語を楽しむためにはある程度以上の長さが必要ですし、その長さを描ききれるほどの人気や筆力が保障されるものではないというか、そこまで出版社ががんばれないとか、作者が消費される時代になっているからかもしれません。京極堂などはキャラクタ小説といってもいいけれど、キャラクタだけではない楽しみもあるので、ライトノベルにも道はあるような気がするのですが、具体的にどうすればいいかは思いつかないし、それほど考えてもいません。だからといってどうなってもいいと思っているわけでもないのですが、本好きが思うこれからと、広く受け入れられる土壌を作ることは方向性が違うものであり、媒体は変わったとしても本が、誰かが紡ぐ物語がこれからも残るためには後者を優先するべきなのかな、と思っています。