菅浩江 プリズムの瞳

プリズムの瞳

プリズムの瞳

菅さんのロボットものは本当に面白いなと毎回感じるのですが、同じような題材を使ってこれだけ面白さを感じさせることってかなりすごい。もちろんこういったジャンルに興味があることとか、楽しみ方を身に着けてきたことがあるのでしょうがそれでも面白い。
物語は、それまでいろんなジャンルで活躍してきたロボットが廃棄されることになり、それまでの技術を生かしてひたすら絵を描きながら放浪するロボットが生まれたことから始まります。人はロボットに何を求めるのか、それに対してロボットはどう応えるのか。良くも悪くもロボットに大きな影響を受けた人たちの物語です。
ここで描かれるようなロボットが実際に生活に入ってくるまでにはまだまだ時間がかかるような気がするし、もしかしたらそのころにはひとの意識も変わっているかもしれません。今もaiboなどの動物型ロボットはありますが、あれはひとの行動に反応するように作られているだけで(それでも十分すごいことだとは思いますが)自律機能はない。部品だけなら今でもある程度のものは作れるのかもしれません。楽器を演奏することとか手術(の補助)をすることとか。それでも最終的な判断はヒトがしないといけないし、何よりもヒト型の筐体に収めることがものすごく困難でしょう。そう考えると人間を含め生き物全般はすごい機能を持っているなと感心してしまいます。
技術的な問題はさておいて、ヒト型ロボットと共存するようになったらどのような社会が生まれるのでしょうか。専門家ではないしあまり想像力もないのでたいしたことは考えられれませんが、あまりヒト型である必要は感じない。もっと年をとって動けなくなったりしたらまた思うことは変わる、というかそうなったらたぶんヒト型が欲しくなるのだと想像はできる。物語でもハグされることが役割のひとつというか、充足感を満たす効果があるように描かれているし。ただ、今の生活の中にヒト型のロボットが入り込んでいる情景はあまり想像できない。必要ない、といってしまうと語弊があるのだろうけど。
ただ、絵を描くロボットがいたら楽しいだろうなと思う。外部デバイスとして自分の想像しているものを書いてもらうのもいいし、物語にあるように抽象画を書いてもらうのもいい。それを題材にいろいろと話すのも楽しいと思う。では、物語のように彼らを憎むことはないのか。それはまだ良くわからない。どうしようもない事態に陥って、他に憎むものがなければ彼らに憎しみが行ったとしても仕方がないことなのかな、というか憎んでしまうだろう。小心者なのでこんなことがおきたらこういう態度をとろう、といろいろ考えるのですがその通りにできることはまずありません。きっと、その時代の空気のようなものもあるのかもしれませんし、全くそういった空気に影響されないと言い切れるほどの芯を持っていないので。
ロボットものといえばそろそろ瀬名さんの本を読みたくなってきました。あちらはあちらで作品におけるロボットの位置づけが多少異なるけれどとても面白く読める作家です。新刊が出ると言う話は聞かないけど、どうなっているのでしょうか。