新井秀樹 真説 ザ・ワールド・イズ・マイン

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (1)巻 (ビームコミックス)真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (2)巻 (ビームコミックス)真説 ザ・ワールド・イズ・マイン 3巻 (ビームコミックス)真説 ザ・ワールド・イズ・マイン 4巻 (ビームコミックス)真説 ザ・ワールド・イズ・マイン5巻 (ビームコミックス)
少しだけウィキペディアのあらすじ を引用します。内容に触れる部分もあるのでこれから読もうと思う方はリンク先と以下の文章を見ないようにしたほうがいいと思います。

都内各所で消火器爆弾を設置するモンちゃんとトシの二人組(トシモン)は、これといった理由もなく北海道を目指し道中の青森県で成り行きから連続爆破、警察署襲撃、殺人代行といった日本全土を震撼させる無差別殺戮を開始する。それは内閣総理大臣までも舞台に引きずり出す大きな勢いとなる。丁度時期を同じくして北海道から津軽海峡を渡ったといわれるヒグマドンと名付けられた謎の生物が出現して次々に人々を惨殺して東北を南下していった。それを追いかける鉄人と言われる熊撃ちの老人と新聞記者。そして遂に3つの点が秋田県大館市で遭遇する。

圧倒的な暴力描写に少し引いてしまう人もいるかもしれない。主人公のモンとトシにはあまり感情移入できないし、どちらかと言えばあっさりと殺されてしまう群衆に感情移入しやすいのではないだろうか。そう考える理由のひとつとして、本作では脇役にも人生があることを、割く紙面の長さに違いはあるものの描いてあるからだ。あと、トシとモン、マリア以外の登場人物は本音を隠す余裕が無い場合が多く、それぞれの立場から漏れるであろう言葉にものすごく力を感じた。内容の是非はともかくとして、だ。
あえて冒頭のインタビューは読まずに本編をみて、この感想を書いている。ネタばれがあるかもしれない、と思ったことと、最初は作者の思惑を抜きにして読みたかったからだ(これもネタばれを避ける、といってもいいかもしれない)。
主人公のトシとモンにはあまり感情移入できない、と書いた。しかし、トシの卑屈さにはもしかしたら自分にもそんな面があるかも、と言う思いが喚起されるし、モンの素直さに心が動くこともある。実際に同じようなことをする人物がいても共感することは無いと考えるので、これは物語の力と言ってもいいのかもしれない。
この壮大と言ってもいいであろう物語の解体、解釈、評価は他のサイトでもいろいろあるようだし、力不足が否めないためここではしない。もう少し感想を続けよう。
最近、戸籍に登録していないため小学校にも行かず、教育を受けられなかった青年のニュースがあった。今の日本では珍しいことなのだろうが、戸籍の無い国もたくさんあるだろう(そちらの方が多いだろう)。不謹慎な仮定かもしれないが、彼は「モン」になりえただろうか。おそらく答えは否だ。作品の終盤ではモンの幼少時代などが描かれていた。これは、こんな過程を経たから「モン」になったと言うわけではないと思う。やはり個人の感想としては「モン」は特異な存在に思える。特異な子供が育つ過程を描いたのではないかと感じた。
モンが無垢であることを示すキーワードとして、瞳の美しさがある。加齢に伴って濁っていくのは仕方が無いとして、普通に年を重ねているはずのモンがもつ瞳の美しさとは何なのだろう。「無垢」の記号として機能していること以外にイメージがわかない。子供の瞳は綺麗。子供は無垢。だから瞳の綺麗なものは無垢ということが理解できない。理解できないことが残念だとか悪いと感じているのではなくて、瞳の澄んだひと、大人を見れば「無垢な大人」を感じるのではないだろうかと想像している。
シンプルな言葉に深い意味を感じようとするのはなぜだろうか。作中では多くの「名言」が登場する。黙っていたら意見を通すことができない、伝わらない状況で責任者たちは多くの言葉を残し、その中に印象的な言葉もあった。多くを語る必要が無く、行動で示すことが主な登場人物でも、数少ない言葉の中に印象的な言葉があった。冒頭に述べたように、個人的には彼らの言葉に動かされるものの、物語では「モン」のシンプルな言葉に世界中が動いてしまう。多くの言葉を持った(もってしまった)ひとはシンプルな言葉の中に多くを見ようとしてしまうのかもしれない。言葉は受け手次第、と言うことを改めて感じる。
長々と書いてきたがそろそろ終わりにしよう。良くあるような言葉で終わるが、壮大な「世界」と言う物語の中で主役になれる人は本の一握りだ。それでも、それぞれの物語ではそれぞれが主人公だから、この言葉はそれぞれのためにある。「The world is mine」。