雪乃紗衣 彩雲国物語―欠けゆく白銀の砂時計

 無事茶州州牧に就任した秀麗と影月。これまで燕青が10年間かけて築いてきた下地を元に、茶州の更なる発展を目指す。彼らがそのために考えた第一手は、燕青の期待を超えるできばえだった。租案に過ぎないその考えを必死に形に仕上げる官吏たち。基盤ができたその案に必要なのは工部の協力。黄奇人と同期の管尚書は最後まで女性の官吏を認めなかった、一癖もふた癖もある人物だった。秀麗は彼の協力を得ることができるのか。そして、茶州の行く末は・・・・・・。
 だんだんと官吏としての活躍が目立ち始めた秀麗です。内面が外面を変えることは実際に良くあることでしょう。これまで見た目に関しては十人並みといわれてきた秀麗も、次第に周囲の目をひき始めます。イラストではそれほど劇的な変化は無いものの、多少子供じみた外見が改善されてきたでしょうか。
 それにしても、やはり生活感がありません。どうやってお風呂に入っているのか、トイレは男女別なのかすらわかりません。それぐらい予想しろ、と言うことでしょうか。いまさら書けないと思っているわけではないと信じたいところです。
 影月が活躍し始めるこの巻ですが、どうやら彼にも本格的な試練が訪れているようです。とはいえ過酷な過去を持つ影月なので、何とか乗り越えそうな気もしないではありません。あとがきでは、「意外と私は容赦が無い」とありますが、まだまだこれからでしょう。期待しているからこそ書いているのですが、銀英伝であの人があっさりと亡くなったように、そろそろ読者の思い入れがあるキャラクタとの別れも演出して欲しいと思います。死なせればいいと言うわけではありませんが、もう戻れないところまで行くキャラクタが欲しいと感じます。
 だれかれかまわず不幸にしろ、と言うわけではなく、この作品のように歴史を作り上げるような話では、誰も死なずに、すべての人物が幸福になり、その時代で活躍した人々はすべて伝説となった、まる。とはいかないと思っています。誰もが幸せになる社会を目指すことはとてもまっとうな考えかもしれませんが、実際は幸せの価値観が人それぞれのためそううまくはいきません。だから、誰もが”選択”できる社会をせめて構築して欲しい。フィクションであることは承知ですし、どちらかと言えば子供向けの本であることもわかっていますが、子供にこそ真剣な姿勢で挑んで欲しい。そういった作品はたとえ子供向きであったとしても、大人を感動させることができる作品となり得ると思うからです。
 そうそう、作中で飲み比べをする場面があります。そこで次のような台詞を言う人がいました。

「酒が弱かろうと強かろうと関係ねぇ。本気でひけねぇと思ってるなら、死んでもぶっ倒れられねぇ。下戸だろうが死ぬまで呑むもんだ。それが呑めるやつならなおさら途中で眠り込んだり音ぇ上げやがるのは言語道断だ。それが人の命を背負う官吏の根性ってもんだぜ」

 正直、こういった考えは嫌いです。下戸とはお酒を受け入れられない体質のことですし、それ自体本人に非はありません。根性云々ではないのです。今回は自分で挑んでいるから全面的に否定することはできませんが、「死ぬまで呑むこと」に何らかの美学を求めているのならば、それは全く、完全に間違いです。もちろん、この発言の主は何かあった場合すぐに適切な処置をするであろうことが想像できますし、死ぬまで呑めという発言も、覚悟の象徴であって本気ではないでしょう。でも、言葉自体しか捕らえられない子供も読んでいるのですから、倒れるまでお酒を呑むことがこの場合に最適であるとは考えてほしくありません。体質と官吏としての能力は分けなければいけないのです。まあ、覚悟を見ると言う意味では、毒を呷るのと変わらないかもしれないので適しているかもしれませんが。
 お酒が飲めない体質なので、こういった場面はあまり好みではありません。馬鹿が呑み比べて倒れようが死のうが知ったことではありませんが、飲めない人間に強要することは傷害に近いと言うことを知って欲しいな、と思います。
 少し長くなりました。まだまだ続くであろうこのシリーズですが、秀麗もいずれ茶州を去ることになるでしょう。その後中央に戻るのか、紅州で活躍することになるのか、どういった展開になるのか楽しみです。全20冊ぐらいで終わってくれると一番ありがたいですね。著者に終着点は見えているのかと言う点だけが少し不安です。途中を膨らませるのはぜんぜん構わないのですが、締め方だけはそろそろ決定していたらいいな、と思うのでした。