西尾維新 ネコソギラジカル

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)





 戯言シリーズの最後をくくる、ネコソギラジカルの最終巻。本当は既刊の感想を書いてから最後にこの感想を書こうと思いましたが、まあ、特に不都合はないと思いますので感想を。これまでの話に触れずに感想を書くことは出来ないので多少ですが触れることになります。長いですよ。
 京都の20歳としてデビューした西尾維新さんも、もう25歳です。理系ミステリを書く新人の方がいれば森博嗣さんのスタイルに似ていると言われるように、西尾維新さんもこの数年でスタイルを確立したと言えるかもしれません。
 物語を広げることもそれなりに難しいこととは思いますが、広げた話を閉じることはもっと難しいことだと思います。これまでの感想で何度か書きましたが、「本当に完結するのか」と言うことは読者からしてみればかなり重要な点だと思います。長作になればそれぞれのキャラクタに(読者が)思い入れも出てくるだろうし、もっと続いてほしいと思うのもまた真実。そこにどう折り合いをつけるのかが作家の方向性を決めるのではないでしょうか。
 森博嗣さんはある意味機械的なスケジュール管理のようにシリィズを終了させますが、それぞれの話に繋がりがある点に特徴があります。それぞれのシリィズは完結しているので、特定のシリーズのみを読了したとしても満足感はありますが、各シリィズの繋がりを楽しめるのもファンとしては嬉しいところです。
 西尾維新さんは果たしてどのような締めくくりかたを戯言シリィズで見せてくれるのが非常に楽しみでした。とりあえず戯言シリィズはこれで終わりましたが、この世界観をまた他の作品でも見せてくれるかもしれませんし、これはこれで閉じてしまうかもしれません。どのようなスタイルでも構わないと思います。今後の作品に期待大。
 西尾維新さんがすごいと思うことのひとつには、キャラクタを容赦なく殺してしまう点があります。彼の特徴はネーミングセンスやキャラクタの個性が際立っているところにあると思います。登場する機会が少ないキャラクタにしても、もっといろんな場面で出てきて欲しい、サイドストーリィを書いて欲しいと思わせる造形能力は際立っているように思えます。そんなキャラクタが、一人や二人ではなく、数多く存在します。それにもかかわらず、あっさりとそのキャラクタを殺してしまう。その潔さがこれまでになかった読後感をもたらしますが、好みを二分してしまうかもしれません。あまり書くと本編の内容に触れてしまいそうなので以下隠します。

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 いーちゃんの本名は最後まで明かされませんでした。途中でヒントらしき物が出てきましたが、パズルは苦手なので挑戦しませんでした。いろんな方が考えたようですが、あまり現実的な名前はなかったように思えます。でも、西尾維新さんのことですから、奇矯な名前をあらかじめ想定していた可能性も考えられます。
 ERシステムの全貌や、登場してこない忌み名の人など、想像する余地はかなり残されています。もちろん、全てが明らかになるとは思っていませんでしたし、想像の余地が残っていることはこの場合むしろ好ましい点です。ただ、ERシステムなど世界的な存在のはずなのに日本人しか出てこなかったことが少し気になりました。
 登場人物が代弁しているものの、ある部分に関してはこの作品では西尾維新さんがどのような考えなのかが少しだけみえてきます。たとえば、人類最強の橙、想影真心について。真心は感覚が一般人の何倍も優れているとしています。優れているというのは感度が高いと言うだけではなく、認識する範囲が広いと言うことでした。可視領域、可聴領域が(一般)人よりもかなり広い、と。個人的には、ここまで来ると人の最終形というよりは超人のように思えます。確かゴジラぐらい眼球が大きいともっと波長の小さい電磁波をみることができる(その代わり長い波長は見えなくなる)のではなかったかと思います。ってこんな無粋なことが言いたい訳ではありません。
 つまり、西尾維新さんは人の能力にはまだまだ余裕があり、それをすべて引き出すことができる存在が、想影真心であると今回は考えているのだと思います。
 確かに肉体的には火事場の馬鹿力と呼ばれるようなとんでもない力を発揮することがあるのですが、それはあくまでも脳が肉体を制御を解いただけに過ぎません。
 個人的には、脳の機能のうちまだ使っていない部分と言うのはそれほど無いのではないかと思います。いわゆる天才と呼ばれる方たちと、少し賢い方の脳で使用している機能自体にはほとんど差が無いのではないでしょうか。優れた方たちと自分たち平凡な人間は結構近いんだよ、と思いたいだけかもしれませんが、脳機能として使用している能力に違いは無くても、ネットワークの数に明らかな違いがあるのでしょう。あと、ネットワーク間の連絡がうまく行っているということ。吉田秋生YASHAに出てくる有末静のような感じでしょうか。あのレベルが、想像可能な人間の限界ですね。それでも静は「お前は本当に人間なのか?」とか言われていますけど。
 結局何が言いたいかというと、個体差を超えた可視領域、可聴領域はもはや人類ではない、ということ。まあ、いーちゃんにしても怪我の治りが異常に早いし、その他のみんなも結構首を切られたり腹を裂かれたりしない限り死なないから、今現在のこの世界と比較するのもナンセンスかも。中巻のタイトルに「橙なる種」とありましたので、もしかしたら新しい種であると暗示していたのかも、とも思います。
 ラストがこの締めくくり方でよかったのかどうか、他の読者がどう判断するかはわかりませんが、この終わらせ方で良かったと思います。いい読後感でした。前にも書いたように、各キャラクタについてもう少し掘り下げて欲しかった気もしますが、各キャラクタが魅力的である証拠でしょう。
 戯言の中で「自律神経を自律する」って良かったかも。英語にしたらSelf-control of autonomic nervous systemかな?Control the autonomic nervous system by myselfとか?どちらにしてもなれない言語だとちょっと味気ないですね。英語なら英語なりの戯言の表現方法があるかもしれません。
 読了したことで安心して他の方の感想を探すことが出来ます。「まあ、これも、戯言だ」で終わる感想がとても多い予感。