梨木香歩 沼地のある森を抜けて

沼地のある森を抜けて

沼地のある森を抜けて





 お世話になっていた叔母が亡くなり、家宝であるぬか床が久美に受け継がれることとなった。これまでぬか床なんて縁が無かった久美だが、断ることが出来ずいや応無しに受け継いだ。先祖代来のぬか床はおいしい漬物をもたらしてくれたものの、毎日の世話は厄介で、手間だ。それでも仕方なく世話を続けていた久美だが、ある日ぬか床の中に卵があることに気がつく。その卵は孵り、なんと男の子が生まれてきた。生まれてきた子は幼い頃の友人に似ていて・・・。
 ぬか床から子供が生まれると言うファンタジックな展開から始まったこの話は最終的には生命の起源や行き着く先まで思わせる壮大な展開になります。生命について考えると言うことは、言葉を得た人類にとっては自己とは何かを考えることに繋がります。自己の存在の不確かさなどが投げかけられていて、いろいろ考えさせられる作品でした。
 生命が単体生殖から有性生殖に移っていったのはそのほうが生命の多様性が得られるからだ、と言うのが現在の見解です。それでも、竹などはクローンであり、それでも種を維持できていることから必ずしも有性生殖が優れているわけではない、といった作中人物の意見もあります。その人物はまた、これまで分裂する一方だったのに最初に融合を果たした個体はどれほど勇気があったのか、と感慨をもらします。確かに勇気が必要だったかもしれませんが、分裂を続けることは安定しているけど単調なことで、融合すること、他者と繋がることはある種の感動をもたらしたのではないかと思います。
 細菌は彼ら(というのもなんですが)の小さなコミュニティを形成していて、まるで人間社会のようです。それは生態系のフラクタルのように思えますが、人間が自分の社会を投影しているだけかもしれません。もしかしたら今の人間の社会を見ている高次の存在がいて、まるで自分たちみたいだな、と言っているのではないか、なんて想像してしまいました。