浅井ラボ TOY JOY POP

TOY  JOY  POP (HJ文庫)

TOY JOY POP (HJ文庫)

浅井ラボさんのサイト"浅いっぽい"でたまに書かれている友人との会話をそのまま載せたような意味のない会話がとても多かった。この量の"意味のない"会話がなければ無常観は出せなかったのかな、とも思いますが、ちょっと多すぎな気もします。その登場人物の会話の中でこれまでのライトノベルを否定したり、これからの可能性を否定するような会話がありました。あまりメタ視点は好きではないのですが、最近は、ライトノベルの著者が自ら可能性を次々につぶしていくことは、自分で考えられる物語の可能性をすべて排除してもなお、面白いと思える作品がかけるのか挑戦しているのではないかと思えるようになりました。人をくさすのは結構簡単なことですが、創作者がこれまで作られてきた物語を否定するのは自らの道を閉ざしているともいえることで、腰掛けならばともかく一生この道で進もうとしている人の行為だとしたら、とても勇気が必要なのではないかと思います。同業者からも恨まれるでしょうし、ね。それにしても不要な文章も多かった印象です。
主人公は舞台の脚本家を勤める大学7回生、美人ライタ、女子高生、格闘家崩れの女性の5人です。誰もが自分は"普通"と少し違うと感じており、自覚して"普通と違う"行動をとるものもいれば、"普通な"行動をとるものもいます。後者の女子高生で、自分だけが特殊な性癖を隠し通せていると思っているあたりが結構リアルな十代かも、と感じました。ただ、これだけ周囲の人間が気づいているのにどうして家族は何も気がつかずに、なすがままになっていたのかな、と思います。ひそかに楽しんでいた趣味も物語の終盤で明らかにしてしまいますが、今後はどのような削りあい(一方的かもしれませんが)があるのか、もし続編があるのならばその辺りを描写してほしい。
格闘家くずれの女性はある意味典型的な挫折のしかたかもしれません。両親が娘を有名にさせるために格闘をさせていた、という設定ですが、物事を悪く見る典型のようにも思えます。怪我をしたとき心配したのは商品価値が下がるから?そうではなくて、普通にわが子を心配する部分もあったと思います。それでも、一度疑ってしまうとどんどん深みにはまってしまう。本当は照れ隠しで、冗談で一瞬だけもれた言葉なのかもしれない、とは考えなかったのでしょうか。こういった、視野狭窄気味な展開も、若者の現実なのでしょうか。とりあえず素直に育った彼女と、ある伝説の人物との戦いは面白かった。ところで結局彼女がしていた格闘技はいったいなんだったのでしょうか。
人生に劇的なことなど待っていても起こらない。でも、それが悪いことなのかといわれるとそうとは思えない。羽の生えた美少女(美少年)が空から降ってこなくても、異世界に移動して、これまでさえなかった人生が急に様変わりすることがなくても楽しいことはあるし、幸せだと感じることはできると思います。他人と同じ点ばかり見るのではなく、いい意味で自分中心の視点を持つことができるようになればいいな、と思います。