[読了] 大崎善生 ドナウよ、静かに流れよ

ドナウよ、静かに流れよ

ドナウよ、静かに流れよ




 作家、大崎善生の部屋に居候が紛れ込んでいたある年の夏、彼らはヨーロッパ旅行を計画していた。計画は頓挫したが、大崎はある記事に目を奪われる。それは、ドナウ川で33歳の指揮者と19歳の女子大生が心中したという記事だった。時が流れても大崎の頭からその内容が忘れ去られることは無く、彼はその事件について調査を開始する。
 大崎善生さんのノンフィクションです。亡くなった女性はかつて女流棋士として名を馳せた渡辺マリアさんの娘、日実(カミ)。なぜ彼女たちは心中することになったかを丹念に、客観的に調査している様子が描かれています。記事だけ見ればただの心中であり、表層だけ調べると妄想へ木のある男性に騙されて女子大生が道連れになったとしか判りません。大崎さんは彼女や指揮者の周囲の人間から話を聞くことで、日実が苛酷な環境の中でも成長していたことを知ります。二人の心中事件のあらましを伝えることが是なのか非なのかは判りません。ただ、この本からは大崎さんの誠実さが伝わってきます。 
 少し長くなってしまいましたので、以下は隠します。
 ハーフであることでどちらの国にも馴染めなかった日実ですが、生まれに由来するアイデンティティの不安定さは何をしてもぬぐいきれないものかもしれません。日実が良い子であることは周囲の話から十分に伝わってきますし、誰もが彼女のことを思いやっています。些細なすれ違いの繰り返しが生む悲劇であったことが痛いくらいに伝わってきて、とても一気に読むことは出来ませんでした。
 大崎さんは指揮者を精神病者と断定しません。医者がそう診断したという根拠が無いからだ、というのがその理由です。その姿勢はノンフィクション作家として正しいと思います。著者として記述することは無くても、彼女の両親が指揮者をパラノイアと受け止めていることは述べており、比較的客観的に事件を追っていると思いました。
 大崎さんが最終的に出した結論は、おそらく大きく違っていないと思われます。ただ、それは人間の素晴らしさを若干美化したものであり、本書の後半以降からはその結末に向けて進んでいるような印象を受けました。人は本来強く、美しく、気高いものであるという大崎さんの考えは同意できるものですし、他の著作にも強く顕れていると思います。だから、本作はノンフィクションですが、大崎さんと言うフィルタを通したものであると言えるでしょう(全てのノンフィクションがそうですが)。
 大崎さんは最期にこう述べています。
 「きっと読んだ方もそれぞれ、受け取り方は違うのではない、かと思うしむしろそうあってほしい。ほんの少しの間でも。起こってしまった様々のことに思いを馳せ、それぞれの胸の中で結論を出していただければと願ってやまない」
 大崎さんが選んだ答えと読者の答えは異なるかもしれません。それは大崎さん自身も望んでいらっしゃることであり、成功しています。自らの考えを提示し、読者にも考える余地を残す本作は優れたフィクションだと思います。