芝村裕吏 猟犬の国、猟犬の旗

 

 

日本で活動する、海外出身のスパイが暗躍する物語。本人は末端の、いつでも切り捨てられるとの認識だけど、上司からは重宝されている印象。この話を読む限りの印象になるけれど、多少立場が上であろうとも、いつでも切り捨てられると認識しているのではないだろうか。

日本にスパイ組織があるのかはわからない。ないことはないだろう、と思う。ただ、ごくごく上層部の考えや行動をTVで見ていると、そんなスパイを使いこなせるほど頭がいいのだろうかと疑問ではある。きっと、多くの政治家は頭はいいのだろう。でも、考え方がずれているような気がする。とまあ、政治批判をしたいわけではないのでこのあたりで止めておこう。

実際には、少し大きな事故があればスマホで撮影されたり口伝えに広まったりで、完全に隠ぺいすることはほぼ不可能だ。せも、忘れやすい国民性もあるので、被害者が声を上げなければ「驚いたね」、程度で流されていることもあるのかもしれない。例えば、多少派手なカーチェイスをして事故を起こしたたとしても、被害者が関係者でなければ数日たったら思い出すこともなくなるだろう。以前、薬物でハイになった女性がBMWで歩道に突っ込んだ事故があったけれど、直接関係のない人で頻繁にそれを思い出すひとは少ないと思う。それらの記録をどこに残していくかも大切だ。新聞などのメディアがそれをする(アーカイブを作る)べきだと思うのだけど、いろいろ問題があるのか、比較的すぐに消えてしまう。表現が煽るものが多くなり、記録も残さず、間違いも訂正しないのに、大手メディアと言っていいのだろうか。いずれは、「信用できる個人」が発信する情報の価値が上がるだろうけど、それが永続的か、と言われると、揚げ足取りなどにつかれて辞めてしまう人もきっと増えるだろう。それらから守るために、個人を集めた事務所ができるかもしれない。それが力を持ってしまえば、今と同じ状況になるかもしれない。なかなか難しい、かな。

さて、スパイものは面白いけれど、なんとなくご都合主義的な面も否めない。そのあたりは、うまくいったものが物語になっているのだと思うようにしている。うまくいった人の影には何人ものうまく行かなかった人がいるのだろう。それはスパイものにかぎらないか。