初野晴 初恋ソムリエ

初恋ソムリエ

初恋ソムリエ

退出ゲームの続編。いろんな高校生が登場しておもしろい。自分が高校生だったころ、こんなにいろんな人がいたのかな。今となってはほとんど連絡もとらないし、あまり大勢と交流していたわけではないので、もしこんなにいろんな人がいたのなら、部活動でもしていればよかったかも。
介護の問題というか、老後の過ごし方についての話題が少しあった。老後を過ごせるほど生きているのか自信はないけれど、生きていると仮定していろいろと考える。そのころ、いったい何がしたいのか、何をしてすごしたいのか。仕事ができるのならしていてもいいかなとおもうけど、迷惑をかけるのなら引退したい。年金はいつからもらえるのか、本当にもらえるのか、もらえないとしたら、どこからお金を工面するのか。できるだけの対策はとりたいものの、そのころはきっと完全にひとりぼっちなので、誰かと支えあうことも考えにくいし、政府が頼れるともおもいにくい。ここで浮上してくる考えは、どうやって自分が死んだことをまわりに伝えるか。もしかしたらそのころは、有る程度連絡が取れなくなったら家を見に来てくれるサービスがあたりまえになっているかもしれない。二日に一度くらい、必ずメールするとか、家の鍵を開けたら、翌日の正午ぐらい(すぐに連絡が行くようだと、不在がすぐにばれてしまうので)には警備会社に連絡が行くとかのシステムが出来上がっていれば良いなあ。からだが自由に動く間は生きていてもかまわないかなとおもうのだけど、不具合が出てきて、誰かに迷惑をかけるようだったらもういきていなくてもいい。周りに迷惑をかけても生きていたらいいじゃないの、と考えるもう一人の自分がいるけれど、そんなに生きる気力はきっとない。しかし、今でもそれほど生きる気力があるわけでもない様な気もするので、なんだかんだ言いつつ、がんばって生きているかもしれない。
人生の先を、予測できた方がいいのだろうか。一人でいること自体はさほど苦ではないけれど、ずっと一人でいることのマイナス点として、有る程度先が読めてしまうことがある。何かしらの不確定要素があったほうが、面白そう。知り合いに、外国のひとと結婚して、いまは海外で生活している人がいる。もちろん惚れた腫れたがあってその結論に至ったのだろうけど、すごいなあと感心する。すごいと思われたくてそうしたわけではないのだろうけど、予想外どころではない。たぶん、楽観的なひとは、多少のことは受け入れて、楽しめる。変化があったほうが面白いと書きつつ、変化が少ない人生を望んでいるのは、うそつきなのか矛盾しているのか。年齢のこともあってか、もうどんな人生を生きて死ぬのか予想がついてしまっている。変化が多いのは疲れるけれど、思い切って何かが変わらないと、もう生きていても死んでいても違いが無いような人生になってしまう、なんて思うことは無くて、平々凡々でもかまわないので穏やかに生きて、死にたいものですね。