鬼塚忠 カルテット

カルテット!

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 家族の再生の物語、と書くと少し大げさかな。家族というものがどういうものか良くわからなくなってきているけど(世間的に、ではなく)、こういう物語を見てこんな家族っていいなとか、家族とはこうあるべきだと思い込んでいるだけかもしれません。とはいえ、何かつながりがある家庭は少しうらやましい。あればあったでうっとうしくおもうかもしれませんが。
 話は少し変わって「チャンスの神様は前髪しかない」説ですが、果たしてどこまでほんとうなのでしょうか。まったくチャンスを掴んだこともないのでよくわからないのですが、それってたとえば「プロとして生きていけるかどうかの分水嶺」に立っている人の話であって、才能をもった人にとっては少し速いか遅いかの違いでしかないのでは、なんておもったりします。その少しが重要なのだ、といわれると返す言葉もありませんが。そういう、仕事関係でなくても、その一瞬を逃せばすべてを逃してしまうことはあるかもしれません。たいした人生ではなくても、あのときあの言葉を選んでいたら、とかあの行動をとっていれば、とおもうことは多々あります。ただ、その後のことが今ひとつ想像できないのは、結局かかわりのない事象だったからかもしれません。
 物語では、主人公の少年が選択を迫られる場面があります。少年がその選択肢を選んだことで、得たものと得られなかったもの、得られたはずのものをあとからいろいろと思い悩むこともあるでしょう。しかし、逃した魚は大きいように、そのとき選んだもので、そのとき得たものから前に進むしかないのだとおもいます。もう、遅すぎるとおもうことがたくさんあるのですが、人生をやり直したとしてもきっと同じ結果なのでしょう。それが、己の器というか、そうするしかできないのだとおもいます。死ぬ前にいろいろと後悔しそうですが、そうならないように今から人生について考えておくこともいいかもしれません。