村上春樹 1Q84

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

とりあえずBook1とbook2を読み終わった直後の感想は、終らないのか、ということ。勝手に完結すると想像してしまったのだけど、よくみれば2冊で半年しかすぎていないし、タイトルとあわせて考えると後2冊は刊行されそうな気がします。しかし、次がまた7年後とかだと忘れてしまいそうなので早めに出して欲しいところ。
主人公は青豆という女性と天吾という男性。二人を軸にした物語が交互に描写されます。読んでいると途中からどちらかがどちらかの物語なのかと思いきや、混在してきます。そのわけの分からなさがよいといえばよい。書評は多くの人が書いているでしょうが、極東ブログさんの書評にリンクしておきます。あらすじが結構書かれてしまっているといえばそうなのだけど、あらすじ自体は物語を全面的に損なうものでもありません*1。以前米澤穂信さんの本の帯に書いてあったことが読後感を台無しにしたと書きましたが、あれはクリティカルな部分を書いてしまっていたからです。紹介された作品を読まないのなら書評を読むのもいいかもしれませんが、基本的には読んだあとで、他の人がどのような感想を持ったのだろう、どんなことを読み取ったのだろうと書評を読んだ方が良いと思います。実際、極東ブログさんの書評は作品を読んだあとに読む性質のものだと思います。
主人公の天吾は幼いころ数学の神童と呼ばれ、体が大きく運動もできるという万能振りです。父親は天吾とは似ておらず、どこの子どもも一度は想像するような「自分はこの親の本当の子ではない」という思いをもって成長し、最後にはそのことを父親本人に伝えてしまう。まあ、気もちは分からないでもないと言うか、もし血の繋がった父親を探すのであればその情報を得るためには伝えざるを得ないかなあとおもいますが、それを伝えられた父親はつらいでしょう。正直良い親子関係ではないのでそれを言えた柄か、と自省しないでもありません。そこは物語なので自分のことは棚に上げましょう。天吾の父親は、やり方が良かったかどうかはともかく、血のつながりのない子を育て上げた点はすごいと思います。作中の描写からは子どもが好きだとは感じられない(感情の表現が少ないのか、天吾の受け止め方に問題が有るのか)のに、よくできたなと感心します。天吾は、本当の父を探せばよかったのに、とかこんな父親の子ではありえないとか、考えていました。なんとなく超然としているように見えますが、あまり自分以外のことを考えない「子ども」なのかな。
もう一人の主人公、青豆は宗教団体に所属する親の元で育てられます。成長し、人体の構造を念入りに学んだ青豆はそれを生かした職業につく。幼いころ、天吾と触れ合った一瞬の記憶をよすがに彼を思い続ける。青豆は「ひとりでもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。たとえその人と一緒になれなくても」といいます。まあ、そうかな。人生に救いはあっただろうか、と考える。それは幻想かもしれないけど、たぶん、あった。でも、それを抱えて生きていくのはしんどいなあ。また、青豆は「いまとなってはもう他に人生の選びようがないということくらいだ。何はともあれ、わたしはこの人生を生きていくしかない。返品して新しいものと取り替えるわけにもいかない。」と考えます。強い女性です。その通りなのだけど、そんなに強くはなれないかも。主人公の二人ではどちらかというと青豆に共感できますが、あくまでも感情面での話。殺されてもいい人間がいるとは考えたくないし、そういう考えは危険です。価値観はふめつなのか。今はそう思えてもいつか変わるかもしれないし、それを基準に殺されてもいい人間がいるとは考えない。
 とりあえず物語としてはおもしろく、今の自分を照らし合わせていろいろと考えるところのある作品でした。いま、織り込まれていた宣伝のチラシを見たら全二巻と書かれていました。ふむ。これで終わりというのも、もしかしたらありなのかもしれません。

*1:とは言うものの、作品を読む前には知りたくない情報が多いので基本的には読むつもりの本に関する書評は読まないのですが。