ケン・フォレット 大聖堂 上中下

大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫)大聖堂 (中) (ソフトバンク文庫)大聖堂 (下) (ソフトバンク文庫)
 12世紀のイギリス、腕のいい建築士であったトムは仕事を失い、新たな職場を求めて移動中だった。トムは高望みしなければ定住して職を得ることができたものの、大聖堂の建築を手がけたいという思いから職を転々としていた。家族を抱え、飢えに苦しむ中、妊娠中の妻が産気づき、子供は無事生まれるものの妻は亡くなってしまう。そして、母乳を与えられない以上子供を連れて行くことはできないと判断したトムは妻の墓の上に子供を置き去りにする。失意の中、旅の途中で出会った女性に生きる気力を得たトムは再び職を求めて移動を始める……。
 12世紀のイギリスを舞台に、信仰と武力の衝突と、人々の生きる姿を描いた傑作です。「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で紹介されていたのをきっかけに読もうと思った作品ですが、本当に面白い作品でした。一応、作品を読み終えるまでは参考にしたエントリも読まなかったので、未読の方でこれから読もうと考えている方はこのエントリも読まないで、真っ白な状態で読んでほしいと思います。この作品は明確な主人公がいないかもしれません。と言うよりも、この時代の生きる人々すべてが主人公だといってもいいのかもしれません。もちろん、中心となって描写される人物はいるわけで、その中の一部が建築士のトム一家です。
 今と比較すると本当に技術も知識もあまりなかった時代、どのようにして巨大な建築物が作られたのか、と考えてしまいがちですが、必要とする時間が異なるだけで、本当に必要な知識はそれほど多くはないのかもしれません。今ほど便利ではないので単純な計算式から算出されているのですが、今の人間がその時代に遡行したからといって同じことがすぐにできるとも思えないほど、さまざまな工夫がなされています。それは、現在ではブラックボックスとなってしまった技術なのかもしれません。
 大聖堂を建築するための技術云々は、この作品では彩ではあるものの主要なテーマではありません。やはり、当時生きていくうえで信仰がどの程度重要な位置を占めていたのか、暴力に対してどのような姿勢で立ち向かうのかなどが大切なのだと思います。
 キリスト教の僧であるフィリップは高潔な人物ではありますが、完璧ではありません。しかし、彼の思想の下で、最善を尽くそうとします。その態度は一般人、普通の生活をしている人には浮けいられらない部分もあるかもしれませんが、これは本当に無私の行動なのか、自分の欲のためにとっている行動ではないだろうかと煩悶するフィリップの姿は完璧な姿を見せ付けられるよりも共感しやすい部分ではあります。
 憎むべき敵として描かれている人物の一人にフィリップウィリアムがいます。彼は自分勝手で、残虐非道で、自分を中心とした考えしかできません。読んでいると、途中でむかむかしてしまうくらいなのですが、これは著者の描写が優れているからでしょう。どんな罪を犯しても、権威あるものに赦されれば地獄に落ちないですむと考えるあたりも身勝手はなはだしい。赦しとはそのようなためにあるものではないと思います。彼はもしかしたら誰もががなっていたかもしれない姿です。幼い頃から権力を持ち、自由に物事を進めることができる立場にあって、何も指導する人物がいなければ、人はああいった人物になってしまうのかも、と少し考えてしまいます。だからといって彼の行動が許せるものではありませんが、酷い目に合わされることを望んでしまう自分は少し引っかかる部分でした。
 登場人物はもちろん完璧な人間ではなく、視点による違いもあるのですが、失敗と反省を繰り返しています。そのことは、完璧にはなることができないと悲観的に考えるのではなく、失敗を糧にどのように進歩できるかが重要であることを示唆しています。そのとき最善であると考えたことでも、後々失敗であったと気づくこともありますし、あまりに困難なことに直面して思考停止してしまい、中途半端な判断をしてしまうこともあります。それは人として仕方がない部分ですが、登場人物の多くは反省し、前向きに考え、繰り返さないようにします。その姿が、なあなあと生きている身には少しまぶしく映ります。
 登場人物の何人かは、周囲から見れば恵まれているように、幸福にであるように思われるような立場になります。しかし、その立場にいるからといって必ずしも幸せとは限らないと彼(女)らは感じます。幸せとは主観的なものであり、一見幸せに見えても不満を抱えていたり、貧しく見えてもそれなりに幸せを感じることもあるのだな、と改めて思います。
 この物語は大聖堂を中心として、人間模様を描いた傑作だと思います。大聖堂の建築は、すべてが信仰のためではなく、さまざまな思惑が重なって建築されていることが感じられました。10年以上前の作品ですが、舞台が900年前なので古さは感じられませんでした。