グレッグ・イーガン 万物理論

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

 映像ジャーナリストのアンドルーは、この世の自然現象をすべて説明できると言う万物理論が発表される「ステートレス」へ向かった。政治的に周囲と隔離された「ステートレス」では独自の思想が広がっている。そこで発表される万物理論は3報。どれが正しいのか、どれも正しくないのかは発表されるまでわからない。彼らにとっては重要な理由から、万物理論を排除するために、カルト集団が暗躍していた。果たして万物理論は存在するのか…。
 さまざまな、今よりも進歩した科学についての記述が散見されます。あるひとつのテクノロジィだけを考えることは比較的たやすいかもしれません。でも、その技術がそこまで進歩している世界ならばほかの技術も相当進歩していて当然だと思います。これまで読んできたSFもかなり細部まで描かれていたものもあれば、たとえば宇宙空間に移動するための技術のみが粘着質に描かれているものありました。それはそれでも構わないのです。作品の主眼がそこの部分にあるのだから。でも、やはり、近未来の出来事を書くのならば、全体として底上げされた技術を見せ付けて欲しい、と感じていました。
 イーガンが書いている未来の技術は、かなり現実味があるように感じられます。専門外の分野(ほとんどですが)は実際どうなのかはわかりませんが、本当かもしれない、もしくは理論として納得してしまう内容であることはすごいと思います。ある部分は本編にそれほど関係していないのですが、それでも細部まで詳細に描かれています。無駄なことではなくて、この世界観を構築するためにはどうしても必要な部分であったのだろうと思います。
 菅浩江さんの「永遠の森」を読んだ方なら誰でもうらやましく思ったのではないかと思う「ムネーモシュネー」ですが、ここではシジフォスという名で登場します。脳内Googleとでも言うのでしょうか。ムネーモシュネーもシジフォスもgoogle以上に役立つのが特徴です。ここまで技術が進歩した社会では情報格差なんて無いのかな、と思ったりもしましたが、主人公は過不足無い暮らしをするのが精一杯のようですし、いろいろとお金の稼ぎ方には違いがありそうです。
 目撃者と呼ばれる映像記録システムも羨ましい。基本的に学問的なことを”記憶”する必要は無いのでしょう。確かに何十年か後にはそうなっていると思います。今でも、あまり記憶する必要が無い分野もあるかもしれません。少なくとも今は、さまざまな事象に関連付けて物事を連想する能力が弱いと思いますし、だからこそ知識が豊富な方、何かを見聞したときにそれに関連したことを考えられる人を尊敬します。
 アンドルーの設定を羨ましく思う人がいるかもしれません。未来では当たり前かもしれませんが、生きているうちに実現することは無いでしょう。ひとつだけ気になったのは、これほどの処理能力と記憶媒体の容量があるのならば、最重要ファイルをバックアップするためにどこかに秘密の媒体を隠し持っていてもいいのではないか、と思いました。あるのかもしれないし、情報漏えいを防ぐために禁止されているのかもしれません。
 これほど技術が進歩していても人は死ぬし、情報や貧富の格差がなくなっているわけではありませんでした。きっと、すべての人間が望む方向性が同じと言うわけではないからだと思います。その一部として、本作では”性”に関する記述が豊富にありました。生まれ持った性別に対して違和感を覚える人たちが登場します。その違和感は必ずしも先天的なものではなくて、後天的に仕入れた知識によって自らの性を決定した人も多数います。どのような分類(分類されることを望まない人もいそうでしたが)がされているのかは本編を読んで欲しいところです。自分だったらどのスタイルを望むのかを考えてみるのも、現在のジェンダ論につながるかもしれません。いろいろと自由に変えられることは幸せなのかどうかはわかりません。自由にできるということはその概念が持っていた意味を失うことになる可能性もあるからです。
 イーガンを始めて読むにあたって、若干ですが前もって情報を検索しました。イーガンは設定を羅列しているに過ぎないといっている人や、人が書けていない(直木賞か?)といっている人もいました。確かに、そういった部分は全否定できないような気もします。でも、未来についてこれほど深く考察し、その結果得られた世界観を堪能するのはとても幸せな体験だったと思います。設定はどれかひとつに注目しても中篇ぐらいは書けそうなほどの内容で、惜しげもなく披露するイーガンの懐の深さを感じます。
 人が書けていない、と言う点では、あまりに技術が進歩した社会では愛情などを強く求める人と、客観的に世界を認識したいと思う人に分かれてしまうのかもしれません。人を書くためには前者について掘り下げたほうが楽でしょうが、前者が主人公の場合では作品として成立し難いのではないかと思います。アンドルーは比較的バランス感覚に優れている人物だと思いますが、本編で登場したカルト集団の一人が主人公の場合、全く違った(偏った )視点になってしまうでしょう。それはそれで読んでみたい気もしますが。
 すべての理論が把握できたとは到底思えません。よくわからない部分もかなりあったような気がします。それは読み手の無力さによるものですが、とにかく面白い作品でした。この作品について触れるなら、訳者の力量をはずすことはできないのではないでしょうか。この難解な文章を理解して、なるべくわかりやすく書くことも大変でしょうが、それ以前にとても読みやすい日本語に訳されていると思います。訳本が苦手な身としてはいろいろな名作に挫折してきたのですが、これほどのボリュームで、読み終えることができたこと自体、訳者の力量が優れていることの証左では無いかと思います。タイトルをそのままにしないことにも好感が持てました。
 想像しすぎて疲れるのは飛浩隆さんと同じです。現代物は比較的想像しやすいのですが、SFは想像するのに時間がかかります。なので読み終わると頭がぽかぽかしているような疲労感を感じる場合が多いのですが、今回は心地よい疲労感でした。面白いけれど破壊力が強すぎるかもしれません。飛浩隆さんの短編集も購入してはいるのですが、まだ読み出すには気力が充実していないかも。ライトノベルライトノベルでいい点がありますし、ハードSFにはハードSFのいい点があるな、と改めて感じました。