村上春樹 東京奇譚集

東京奇譚集

東京奇譚集





 海辺のカフカ以来の村上春樹さんの新作。一つ一つ感想を書きます。
 -偶然の旅人
 ゲイの調律士がカミングアウトしたことによって起きた家族との亀裂。彼はそのことが常に気にかかっていた。あることをきっかけに彼は姉に連絡を取る・・・。
 奇跡と感じるようなことはきっとありふれていて、それに気がつくかどうかと調律士は言います。村上春樹さんはジャズの神様が見ていてくれるのだと思いたい、と言います。どちらの言い分が正しいと言うわけではなく、きっと心の持ちようによってどんな風にでもとることが出来ると思います。誰にも負けないとは決していえませんが、本の神様が見守ってくれていたらうれしいかも。
 -ハナレイ・ベイ
 息子がハナレイでサーフィンをしている最中、鮫に襲われて死んだ。ピアニストの母親はハナレイに向かい息子の死体と対面する。心を落ち着かせるためには時間が必要で、その時間を現地で過ごす母親。その、日本から離れた地で起きたのは・・・。
 まっとうな生き方と言うのはどんなものか良くわかりませんが、少なくとも他人に迷惑を掛けない生き方だと思います。たとえ家族であっても、互いに肉親としての愛情があっても互いに相容れないこともある。だからと言って分かり合えないのはとても悲しいことかも知れません。淡々とした話し方の、この母親に好感が持てました。静かな悲しみが溢れる物語です。
 -どこであれそれが見つかりそうな場所で
 報酬を受け取らない探偵の話。良くわかりませんでした。変な男の人と話してはいけません。
 -日々移動する腎臓のかたちをした石
 少年時代、父親から「男が一生に出会う女の中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない」と言う言葉を掛けられた小説家。その言葉は思いがけないほど彼の人生観に影響を与えた・・・。
 父親はちょっと格言めいたことが言いたかっただけかもしれませんが、親の言葉は子供にとってはとても影響があるのかもしれません。3人と限定されたことで本気になることを恐れてしまう気持ちはわからないでもありません。”愛情を適時に適切に具象化するという重要な意味を持つ能力”が有るか無いか問われたら、答えは”無い”ですね。残念ですが、仕方がありません。まあ、努力しますけど。物に意思があるというのは人の思い込みでしょう。意思があるものを”物”と呼びたくはありません。
 -品川猿
 自分の名前を急に問われると思い出せなくなってしまう大沢みずき。現在は結婚して安藤みずきとなったが、仕事では変更を伝えるのが面倒なため大沢のままで通している。症状について相談に向かった病院帰りのある日、カウンセラの看板を目にした彼女は、値段の安さもあって相談することにした・・・。
 読んでいる最中ずっともやもやしたものを感じていました。そのもやもやが良いものか悪いものかはさておき、唐突な展開に驚くと言うよりも疲れてしまいました。
 カウンセラが胡散臭さに溢れていて、結局はいい人だった(?)のかもしれませんが、こんな言動をとる人を信頼できるのは、みずきが余程弱っていたと言うことでしょうか。”あなたラッキィですよ”という言葉は要注意。幸運かどうかは他人が判断することではないからです。あと、羨ましいと、妬ましいはだいぶ違うと思うのですが、どうでしょう。