椹野 道流 貴族探偵エドワード





 高貴な家柄のお坊ちゃまであるエドワードが学校を卒業した後選択した職業は私立探偵だった。エドワードのお目付け役兼家庭教師だったシーヴァはそのまま探偵助手となる。依頼が来なくて暇をもてあましていたエドワードの元に母校の校長から仕事の依頼が。その内容は、構内に幽霊が現れ、生徒を襲うと言うものだった・・・。
  椹野道流さんの新シリーズ。架空の世界ではあるものの、中世ヨーロッパを意識した世界で、先日の「パラケルススの娘」もそうでしたが、この時代が流行っているのかな?上流階級に生まれ育つとどうしても一般市民などを下賎の民とかなんとか思いがちかもしれません。実際にそういう育ちの方と接することはないのでわかりませんが。でも、エドワードは貴族としては珍しく分け隔てなく接するよう育てられてきたので、下町暮らしも平気です。真っ直ぐに育って、真っ直ぐな意見を通すことが出来るのは彼の育ちも背景にあるのだろうな、と思いながら読みました。
 エドワードがこれまで接してきたのは、学校では貧富の差は有れど貴族の子息たちだし、実家でも身分が低めの人と言えば下働きの使用人ぐらいでしょう。下町で暮らすと言っても比較的上品な町(区画)のようですし、上品な一般市民としか接していないのではないかと思います。この先、本当のスラム街、と言うか貧民街の住人と接することが出来るのか期待したいところです。 
 ティーンズ向けの文庫でそれほど穿った見方をすることはないのかもしれませんが、良くあるフォーマットとして貧困層の住人が上流階級の人間に普通に接されることで心を開く、と言うのは実際どうなのでしょうか?と思うときがあります。”あんたはこれまでの人とは違うようじゃな”と言った展開のことですね。虐げられた歴史が長ければ、そんなに一瞬で心を開くことはないのではないか、と。うーん、これは自分が狭量だからそう思うだけかもしれません。
 最後に印象に残った台詞を。未読でこれから読むつもりの方は見ないでください。


「自分の怠慢を死者のせいにするのは、最低の行為だ。好きなだけ自分の殻に閉じこもって、好きなだけ孤立してればいい」

 これは、まさにその通り。もう意見を言えない人に責任を負わせるのはいけませんし、自分の怠慢は誰のせいにも出来ません。ですが、そういいきれる人は強いな、と思います。

「人を不幸に出来るのはその人自身だけですよ。なぜなら、他人がどんなにあなたを酷い目に遭わせようと、あなた自身が挫けなければ、誰もあなたの魂に触れることは出来ないからです」
「これから何を考え、何をするか。幸せになるためには、人は死にものぐるいで考え、行動しなければいけません」

 シーヴァがやさぐれた少年に対して言う台詞です。これもその通りだと思いますね。もしかして世の中には不幸になりたがっている人が多いのではないかと思ってしまいます。幸せだと思っているので、あまり気には他人になんと言われようと気にしませんが。
 上では純真なエドワードに疑問を持つようなことを書きましたが、まあ、無い物にたいして羨ましくなっているだけでしょう、と自己分析。