[日記]
パクリ問題についてもう少しだけ書きます。この問題に関する感想は昨日書いたのですが、気になるのはパクリ問題を糾弾した人たちのことです。検証サイトを作った方や掲示板で煽った方たちがまともな考え方の人たちなら、おそらく今後創作活動は出来ないのではないでしょうか。彼(彼女)たちはひとりのパクリ問題を追求しました。一転、自分が創作活動をしようと思ったとき、自分の創作物がこれまでに出たことは無いのだろうか、これを表に出すことで誰かに攻められることは無いだろうかと思い悩むのではないかと思います。また、まともな神経ならばそう思うはずです。
厳粛であることは規律をもたらします。でも、創作物は本当にそのようなものなのでしょうか。過去の作品が基盤となることは音楽でも、小説でも、漫画でも頻繁にあることです。今回のように先達への尊敬が感じられない場合は、その世界から抹殺するのではなく、周りの人間が方向を修正すればよかったのではないかと思います。
最終決断は親元が出したとしても、ひとりの漫画家を抹殺したことはきっと自らが創作物を表に出したいと思ったとき負い目になるでしょう。”一部の人”について今書くつもりはありませんが、ウェブ上に数多存在する一部の人がある漫画家を追いやったのではなく、それに乗っかった自分が追いやったことを自覚するべきです。
このことを書いたのは、将来何かを表現する機会が増えるであろう未来の創作者たちが他人を貶すことで自分の位置を上だと思い込むことが無いように、自ら可能性を潰すことが無いように願っているからです。この文章を読む人はほんの少しでしょうが、何かの機会に目にした方の、意識の片隅にでも留まったらと思います。
おまけ
「若者の人間力を高めるための国民運動」って・・・。人間力って何なのでしょうか?誰も何も考えていなさそう。すっごく空回りなエールに感じるのは気のせい?
買ったことを攻める前に、売るな、と思う。