[日記]

 いつから”パクリ”と呼ばれるものに人がこれほど嫌悪感を示すようになったのでしょうか。「創作は模倣から始まる」という言葉が「デカルトの密室」の中でありました。全くその通りで、何事も最初は模倣から入ります。創作にかかわっている人間は誰しもそれを体感していることでしょう。あえて言語化しなくても解っている、ということです。
 金銭の授受が大きくなった時、この”パクリ”という行為は非常に強く叩かれることになります。はっきり言うべきではないかもしれませんが、この場合は妬みが殆どだと思います。パクった癖に、という心理には”それくらいだったら自分にも出来る”という思いがあるのでしょう。同じ業界で働いている場合など妬みは大きくなるでしょう。全く関係の無い世界の出来事ならば無視しておけば済むだけの話です。何もしない人間が、たとえオリジナリティが少ないとは言え表舞台に立ったものを攻めるのは全くの筋違いです。
 でも、もし創作にかかわっているとしたら、ただ模倣しただけのものならなぜそれが世間に受け入れられたのかを考えなければいけないと思います。マーケティング?創作者の見た目?プロモーションの規模?創作を受け入れる側が未熟(これははっきりと違うといえますが)?少なくとも創作者は観客を自らの力不足の言い訳としてはいけません。
 話がそれました。クラシックの演奏などでは”パクリ”などと呼ばれることはありません。米原万里さんがどこかのエッセイでおっしゃっていたことで、「かつては演奏を耳で聞いて、それを再現しており、その過程で微妙な変化が起きて、それが演奏者のオリジナリティとなっていた」と言うものがあります。それは、ブルースでも同じことだと認識しています。誰が”パクリ”だといってエリック・クラプトンを攻めるでしょうか。現在は映像でも音声でも記録が明確に残ってしまうために正確な比較をすることがたやすくなってしまいました。それが、揚げ足取りをする人たちを助長している一因でしょう。ただし、ここで挙げた例では他の演奏者や創始者に対する敬意があり、彼らがなしてきたことを自分なりに表現しようとする意思があることを忘れてはいけません。また、彼らの多くはオリジナル作品を生み出していることも重要です。模倣を礎として、自分自身から生み出されるものを
 ”パクリ疑惑”で叩かれているアーティストがどのように考えていらっしゃるかはわかりません。ただ、叩く側には「楽して儲けたい」という考えが潜在的にあり、アーティスト(たち)が体現しているように感じるからこそ妬ましく感じているのでしょう。
 個人的には模倣が悪いとは思いません。模倣が続けばいずれ淘汰されると思いますし、それがきっかけでオリジナルに興味を持つ人が出てきたり、懐かしさを感じる人もいるからです。一方、売れれば良いという考えにも賛同は出来ません。売れているものにも、売れていないものの中にも優れたものはあると思います。だから、宣伝に踊らされないように(よく踊らされますが)表現者、創作者が提示したものに対して自らがどう思うのか、周囲に左右されず考え、感じ取るように心がけたいと思います。