[読了][再読] こうの史代 夕凪の街 桜の国

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)




 この本は最近読んだわけではありませんが、この時期、忘れてはいけない原爆のことを描いたこの作品の感想を記録しておきます。子供のころ、登校日に見せられる原爆被害者の写真は子供心に恐ろしいものでした。それは、兵器としての恐ろしさではなく、被害者の怪我の具合や、破壊された町並みにただ映像的な恐ろしさを感じていました。被害にあった方たちの悲しみは二次災害ともいえる、周囲の偏見にもあります。この「夕凪の街 桜の国」はそれを描いた物語。
  「夕凪の街」 
 原爆が投下され、直撃は免れたものの、被爆し、かろうじて生きながらえた皆美。母は当時まぶたが開かなかったため直後の惨状を見ていない。皆美に襲い掛かる記憶。誰かから向けられた悪意を感じるものの被害者当人はその正体がわからない。近所の青年、打越から好意を向けられても素直には受け入れられない皆美。おどろおどろしい絵柄ではないものの、皆美の記憶に巣食う悪夢が描かれる。”お前の住む場所はそちらではない”と語りかける声におびえる皆美は、生きていてもかまわないのだと言ってもらいたい。その切実な思いを受け入れる打越。でも、皆美の体は放射線に蝕まれており・・・。
 原爆の恐ろしさ、特に火力の大きさだけではなく後遺症の恐ろしさが伝わります。最後の数ページは悲しみのあまり読み進めることが困難になるほどでした。実際、このような方が何人もいらっしゃったのでしょう。その悲しみは肌で感じることはできなくても想像することはできます。そして、想像することが未来の不幸を防ぐ方法のひとつなのです。忘れないでいよう。そして忘れないでいて欲しい。そう願わずにはいられません。
 「桜の国」
 時代は進んで現代に舞台が移ります。戦後の復興も進み、何事もなかったような街並み。平和記念館がある広島の町はもはや他の町との違いが判らないほど。七波と凪夫は被爆(したかもしれない)女性の子供たち。母親が若くしてなくなったのは原爆のせいだと言われる。一方天寿を全うしたかに見える祖母は原爆のせいだとは言われない。広島の生まれではないこの身には実際にそのような偏見が残っているかどうかは判りません。今の世代は良い意味で原爆のことを忘れ、悪い意味でも原爆のことを忘れているのでしょう。偏見が残るのは悲しいこと。でも、被爆の恐ろしさを忘れるのも悲しいことです。今、被爆したかもしれないということで関係を邪魔されることは少ないのではないでしょうか。だから、この「夕凪の街 桜の国」を読むことで原爆の恐ろしさを記憶しよう。そして、その恐ろしさを、他者に向けるものとして認識するのではなく、二度と行使してはならないものとして認識しよう。この悲劇を未来に再現してはいけない。そのことを深く考えさせられる作品でした。